最近思うのは「インプット過多になるとしんどいな〜」と言うこと。
たしかに、朝起きてすぐにスマホ見てツイッターのタイムラインをみてトレンドをみてRSSチェックして……ってやってると、朝からもうお腹いっぱいな感じしますよね。
で、自分でなにか考えないといけないときにはもうお腹いっぱいで動けない感じ。
そのあたりのことについてメモがてら記事として残しておきたいと思います。
インプットはアウトプットとワンセット
僕はインプットっていうのはアウトプットがあって初めて完成するものだと思っています。
インプットだけをしている状態はそれは自分の中で完全に消化しきれていないただ情報を取り入れただけと言う状態。
インプットされたものを自分の頭の中のフィルターで変換してテキストや何かの証言として自分からもう一回世の中に出すということがアウトプット。
この行為を行わないと取り込んだ情報は自分の中で消化されずにそのまま腐って老廃物になる。
そんなイメージ。
ある意味でこんなに無限のコンテンツ(インプット)が存在している現代はめちゃくちゃ贅沢な時代だなぁ、と。これまではこんな悩み自体きっとなかったよね。
刺激中毒から消化不良になるとしんどい
そういう前提を頭の中に持っているのでインプットだけが多くなってしまうとどうにも消化不良を起こしているような気持ちになってそわそわしてしまいます。
特にインプットっていうのはアウトプットに比べてものすごくハードルが低くて、ただインプットすると言うだけなら生活の全てがインプットになるわけで。
それに加えて、自分から能動的に本を読んだり映画を見たりして「作り手の熱のこもった密度高い体験」をインプットすると、それをアウトプットとして消化するのにもものすごい熱量が必要になる。
ここ最近は本を読むことを多くしていたんだけど、そのすべてに書評をつけることができていなくて自分の中でなんとなくもやもやとした気持ちが高まってきています。ザ・消化不良。
もしかしたら過剰なインプットを減らすと言う事は1つの解決法なのかもしれないけれど、なんとなく頭の中には「インプットなくて成長なし」といったようなイメージがあるのでそれもなんとなくやりにくい。
まとめ:インプットとアウトプットの健全なバランスを保とう
現実的にはインプットを少し絞っていくのが第一歩だと思う。
やっぱりいまは無料の娯楽が爆発的に増えて、そろそろ自分の意思でインプットをセーブすることを考えないといけない時代なんじゃないかと思ったり。
これだけコンテンツが溢れているとついつい空いた時間にもYouTubeを見たくなっちゃたりして、その結果刺激中毒みたいになることがある。
これからはある程度そういう状態に対して意識を向けて自分の中でバランスよくインプットとアウトプットを保っていきたいと思ってます。
いくら良いインプットを取り入れていてもサイクルが回らないことには具合が悪くなるだけだからね。