このごろ、旅に関する感じ方が前と変わってきた実感があります。
ざっくり言うと、こんな感じ。
- ちょっと前までは旅といえば「ふだん味わえない刺激を求めるもの」
- いまでは「いまある日常を遠くから見つめ返すためのもの」
難しいけど、なんとか言語化して記事にしておきたいと思います。
「ここではないどこかへ」から「この場所からどこかへ」への転換。今いる場所を肯定して好きになれて、なおそこから飛び出そうとできる、その圧倒的な自由さ。
早く行きたいならひとりで行け。遠くへ行きたいならみんなで行け|伊佐 知美 @tomomi_isa|note(ノート) https://t.co/eXk6ZDXRC5
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2018年5月4日
旅から帰ってきて「日常のねじを巻きなおす」時間が好き
旅がすごく好きなんだけど、旅そのものよりも「つかれたー」って言いながら家に帰ってきてから、たまった洗い物を洗濯したり、撮った写真を読み込んでいる時間がものすごく好き。
この瞬間のために旅行しているような気すらする
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2018年5月6日
最近ふと強く思ったことをつぶやいたのが上のツイート。
- 玄関に入って鍵を内側からかけたときの安心感
- すっかり乾いて他人顔したシンク
- しばらく動いてなくてちょっと硬くなったような部屋の空気
- たまった洗濯物を洗う洗濯機の遠く低く響く音
- 撮った大量の写真をパソコンに読み込んでいるときの待ち時間
- 持ち出したものをあるべきところに収納して戻すときのしっくり感
そういうものにじんわりとした良さを感じるとき、ふと「きっといまあるものの良さを思い知るために旅をしているんだ」とも思うわけです。
“Nowhere” から “Now Here” へ。
きっと「ここではないどこかへ」だけが旅のたのしみ方じゃない。
なんとなくだけど、きっと、旅の極意は「どこでもないここから」にある。
外の世界に意味を求めていくんじゃなくて、いま手の中にあるものをちゃんと見つめること。
目を凝らしても見つからない “Nowhere” という言葉が、捉え方次第で “Now Here” になるように。
田辺誠一さんの「ライフ・イズ・ジャーニー」を観て改めて、そういう想いを強く感じたわけです。
やっぱり最高だ、この映画。