一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

コスパにこだわっている限り、いつまでたってもおもしろいものには出会えない

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脳内メモ
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個人的感覚ですが、このごろ、コスパという言葉に抵抗感を覚えるようになってきました。
ここ1〜2年で急速に色あせてきている感じ。

漠然と思うのは、なんだかもう、コスパを第一の判断基準として行動するのは違うよね、ということ。
いまや、21世紀的じゃない、なんか古くてダサいものだな〜という気がします。

自分のなかで価値観のアップデートが起こっているとおもうので、この際ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。

コスパにこだわっている限り、いつまでたってもおもしろいものには出会えない

コスパのいいものとは、すでにパターン化されて大量生産されたもの、ということ。
つまり、コスパの良いものばかり求めると「どこにでもある」ものしか手に入らない。

だから自分で好きなようにやりたいという意思を持つならば、コスパという考えからは一度身を離す必要がある。

これがこのごろ感じている「コスパ」への違和感の正体かと。

コスパにこだわっている限り、いつまでたってもおもしろいものには出会えないということですね。

お金を使うなら「オーダーメイド」な使い方が良いと思うようになってきた

ぼくのなかでは、ここ数年でずいぶんと「オーダーメイド」なものの価値が上がってきている気がします。

えてして、オーダーメイドでつくられるものって大量生産が効かないのでコストがかかる。
つまり猛烈にコスパが悪い。

それを受け入れたうえで、それでもオーダーメイドに手を伸ばす生き方はかっこいい。
コスパにしがみついているより、そっちのほうがクールだと思うんですよね。

お金をケチるのは誰だってできる。だけど、おもしろいお金の使い方は難しい。
そこにはある種の創造性が求められる。

だからこそ、そこに面白みがあるし、その人らしさがにじみ出る。

コスパを重視するスタイルはどうしても受け身になるからかっこ悪い

考えてみれば、コスパっていうのは、すんごく受け身な考え方。
できるだけ損しないようにふるまう。だから器が小さい感じがするし、イケてない。

もっとみんながコスパから離れて「自分のオーダーメイド」を追求するようになったらおもしろい。

それを追い求めることができる社会こそが「豊かな社会」なのかな〜。
コスパの悪さ、つまりある種の無駄を許容できる社会。

これからはきっと、もっとその「コスパの悪いスタイル」を積極的に選べる社会になっていくと思っています。

まとめ

お正月にも今年のテーマは「お金にならないことをしたい」と書きました。
関連記事:2017年は「お金にならないこと」をしたい

この「お金にいならないことをしたい」というテーマを掲げたときは、正直かなり漠然とした状態で。
当時はなんとなくの「予感」みたいなものを感じて書いたものでした。

なので完璧に自分の腹に落ちていたわけではなかったんですが、ここにきて一段深まった気がします。

みんなそれぞれの「オーダーメイド」に夢中になって、お互いの創造性を認め合える社会が来るはず。
それを楽しみに待ちつつ、そのときは自分もおもしろい存在でいられたらな〜と思っています。

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