「自分がいつのまにか勝手に決めたマイルールから積極的に逸脱していこうキャンペーン」、絶賛継続中です。
自分が嫌と感じるものに無理に向き合う必要はない
「嫌な気持ちになるものはみない」というのは、本当に良い選択肢であると思う。特に社会問題とかもだけど、それから目を背けることは「責任感がない」だとか「他人まかせ」だとか、そういう風に思ってしまう自分がいるけど、それは違う、ということをずっと言語化したかった。
— 煮え湯@追いかけ更新中 (@nieyu365) 2017年6月8日
無数にチャンネルがある、選ぶ自由もある、ならば、自分が見たいものだけをみたらいいんじゃないか、と思う。無関心でいいし、全てに心配りする必要はないし、自分が心躍るものだけに自分を注ぎ込めばいいんだと思う。
— 煮え湯@追いかけ更新中 (@nieyu365) 2017年6月8日
これまでって、なんとなく、周りの人が向き合っている問題に流されがちで。
自分自身にそれを背追い込む力はないけれど、みんなが力を合わせて運んでる荷物は手伝わなきゃ!みたいな義務感に刈られることがよくありました。
で、勝手に消耗して、最後はひとりでつぶれる感じ。
これからは「自分の見たいものだけ見る」というスタイルでいいと思う。
それは「無責任」とかそういうではなくて、ここが尊重される状態こそが、成熟した社会の姿なんじゃないかな。
一言で言えば、「自分をしっかりコントロールする」ということなんだと思う。
それが悪いはずがない。
身を滅ぼすほどの無用な罪悪感からは脱却していっていいんじゃないかな。
ひとは本質的に無力ということを受け入れると生きるのがラクになる
ひとは、きっと自分を「何かできるはず」と買いかぶりすぎだ。
実際はなんの役にも立たないことがほとんどだろう。
別に悲観的な意味ではなく、ひとはみな、基本的には本当にそうだと思う。
すごいひとはいるけれど、みんながみんな、はじめからすごくなんてない。
何かのきっかけでテコの原理みたいに力が働いて、その勢いで走り始められるかどうかで。
自分のじぶんの全力を捧げるものがあればそこに打ち込めばいい。
うまく関われないようなら、少し距離を置いたっていい。
それでいいと思う。