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他人の意見に振り回されないために、自分の中に透明なレンズを持つ

じっくり考えたこと
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このごろよく思うのは、自分の目でものごとをみることの意味。

自分の目でみたものを自分の価値観で判断する大切さ。

できるだけ先入観のない、透明なレンズを自分の中に持つことについて。

自分が見聞きしたものごとの判定を、他人の価値観に委ねずに自分のものさしで判定すること

膨大な情報が行き交う現代において、物事の一次情報に触れる機会は以前より格段に減っています。

その代わり、他人が発信した二次情報を受け取ることが増えているわけだけど、そこで猛威を振るっているのは、強い言葉を使った意見。

なぜかというと、極端なものほど表面的には刺さりやすいから。

良くも悪くも、過激な表現を使うことで、なにか意味のある主張のように思えてくる。

でもそれは、まやかし。
そういう全てを正面から受け止めていると、自分が疲れてしまう。

ほんとうの物事の形や、自分の感情には、もっといろんな段階、グラデーションがあるはずで。

受信した情報に込められている「他人の価値観」をついつい鵜呑みにしてしまいそうになるけれど、他人の価値観に振り回されてばかりいると、いつまでたっても本質は見えない。

その先にあるのは消耗だけ。

ものごとは「最悪」と「最高」の二つだけではない

ここで思うのは、語彙を増やすことは考えの豊かさを広げることなのかな、ということ。

つまり、言葉にすると変だけど「人間は自分が考えられること以上のことを考えられない」わけで。

別にやたら物知りになる必要はない。

だけど、ニュアンスの異なる語彙をたくさん確保しておくことで、その時々の感情に適切な名前をつけてやる事ができるんじゃないかと思っています。

言葉に落とし込むことで欠落していく情報は必ずあるけれど、そこを乗り越えないと自分の物差しでものごとを測ることはできない。

最高と最悪の二択で語らずに、もっとその間にあるはずの、無限のグラデーションに目を向けること。

語彙を増やすことは、物差しの目盛りを細かくする作業に似ているような気がします。

まとめ

他人の意見に振り回されることは、自分の人生をすり減らすこと。

それを避けるには、できるだけ一次情報に触れること。

そして、自分の目でみたことに対して、本当は自分はどう思ったのか。
人が言ったことは、本当に自分にあてはまることなのか。

せっかく自分のセンサーを持っていて、自分の脳みそがあるんだから、使わない手はない。

自分の目で見て、自分の頭で考えて物事を捉えるようにするだけで、目の前にこれまでと全然違う世界が拓けていくはず。

思考停止して他人の価値観に乗っかって、その「たのしみ」をわざわざ手放すことはとてももったいないことだと思います。

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