一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

世の中にはたぶん要る苦労と要らない苦労っていうのがあって、要る苦労に対して努力を払うべき

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脳内メモ
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世の中にはたぶん要る苦労と要らない苦労っていうのがあって、それをきちんと見極めたい、
そして要る苦労に対して努力を払うべきで、要らない苦労に対して努力するのはもったいないなという話。

苦労は買ってでもしたほうがいいけどそれは最初の頃だけで充分で、楽で効率的なやり方を見つけることのほうが何倍も何十倍も大事

若いころの苦労は買ってでもしたほうがいい、とは言われるけれど、
「苦労する」っていう部分に注目しすぎちゃってるって感じる機会が多すぎるな、と思った。

苦労さえしてればいい、とか、苦労してなきゃダメ、とかっていうのはおかしいよね。
効率的にうまくできる道があるなら、ガンガンそっちでやるべき。

経験値を積んで自分の中の土台を作り、
ゆくゆくは自分の力で効率的なやり方を見つけられるようになるために、
一通りいろんなルートややり方を試して学んで、
その過程でたくさん苦労するのは悪くないかもしれないけど、
それはあくまでやっぱり手段であって、苦労が目的なのは本末転倒だなーと。

努力神話っていうか、近道を見つけることが悪いことみたいな信仰も、なんとなくあるような気もする。

いま買う必要がある苦労と、そうではない苦労を自分の頭で判断できるか

いまは苦労したほうが良い時なのか、それともさっさと近道すべき時なのか。

その時の自分に必要なものを、プレイヤーでありながらも俯瞰的に自分の頭で判断して、
トータルで未来の自分がより前に進んでいるようなやり方を選べるのがスマート。

沢山経験値を積んで、充分な力がつけば、いつも近道を通ることができるようになるのかもしれない。
でもそれはある程度進化の階段を登り切った段階ではじめて言えることで。

どちらかと言えばその段階に至る遥か前の「苦労の道の脇に、近道もうっすら見えている人」が、
自分をいかに客観視して、自分の取るスタイルを選択できるかってところがキモなような。

盲目的に苦労していればいいもんじゃなくて、ちゃんと自分を客観視して、
ケースバイケースでやれる人っていうのが、次のタイミングで上のステップに登れる人なのかもしれない。

いわゆる、力の入れどころや手の抜きどころがわかってるとか、要領がいいとか、器用だとか、
そういうのって突き詰めると、こういうもののひとつの側面なのかもなー、と思ったっていう話。

まとめ

要る苦労と要らない苦労があって、それを自分の頭で取捨選択していきたいよね、ということだけど、
これは頭でわかっていても、そのとおりにいかないのが世の中。

社会で生きる限り、思い通りにいかないことのほうが多い。
要らない苦労だって強いられるときは強いられる。

現実はそうかもしれないけれど、だからといってその中で諦めて埋もれずに、
自分の頭で考え続けるってのが大事なのかも。

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