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「才能」という言葉は逃げ道を作るための都合の良い幻想

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脳内メモ
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この前すごく良いnoteを読んだので、それをきっかけに「才能」という言葉について思ったことを記事にしておきたいと思います。

「才能」という言葉は逃げ道を作るための都合の良い幻想

上のツイートのnoteを読んで思ったことは、「才能」という言葉は、逃げ道を作るための都合の良い幻想なんだなということ。

周りから才能があると羨まれている人はみな、才能なんて言葉は知らない。

そんな余計なことを考えるヒマなんてないくらいに、常に手と頭をフル回転で動かし続けている。

一方で「自分には才能なんて無い」と思っているひとは、本当にその通りの結果になる。

なぜなら、「才能がない」という言い訳が自分の中でできてしまっているため、いつかどこかで努力することをやめてしまうから。

うまくいくかどうかというのは、結局はこの差なんだと思っています。

もし才能というものがあるとしたら、それは自分で生み出すもの

僕はやっぱりいちばん大事なのは「やめない」ということだと思う。

「自分はこれだ」と決めたものについては、本当に才能の勝負になる前にやめないこと。

ここまでしがみつけば、自然とその時点で相当のトップ層に食い込んでいるはず。

そして、そこまで残った時点で才能は間違いなくある。

つまり才能っていうのは、逆説的だけど、自分の意志で「生み出せる」ものなのではないかと。

そして才能の差っていうのは、「これまでに生み出した才能の差」なんじゃないかと。

別にこの考え方が正しいかどうかなんてわからないし、それはどうでもいいこと。

ただ、僕はこの説を信じたい。

だってそうでもなけりゃ、救いがなさすぎるから。

まとめ:終わり続ける今を、一分一秒を、惜しもう。

人生において「自分に才能があるないか」なんてことを悩んで考えている時間ほど無駄な時間って無い。

途中で諦めることは、いつでも、誰にでもできる。

だからこそ、そこで膝をつかずに、自分という存在を背負って、一歩でも遠くまで歩みを進めることができるかどうか。

いまは常に終わり続けているという感覚を持って生きることが、才能を超えるなによりの上達のコツなんじゃないかな、と思っています。

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