「なにかこのままじゃいけない」という危機感とか違和感を感じたら、まずは「変えてみる」ようにしています。
試してみることになんの失敗もないので。
何かを変えたりはじめたかったら、いまこの瞬間からはじめよ
いろいろやりかたを変えて試さないと、結局どれが一番いいのかわからない。だったらとっとと試してみることだ。すぐやって、だめならすぐ戻ってくればいい。そのルーチンをいかに早く回せるか。迷っている時間がもったいない。日々実験。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年10月9日
実験しないと、毎日同じところを同じようにまわっているだけで終わってしまう。同じように回転する車輪でも、どんどん実験して、自分の回転軸をどんどんよじらせて、はじめにいたところから自分を動かしていくイメージ。よじらせすぎて車輪が倒れたら、また起こせばいい。死ぬわけではない。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年10月9日
うまくいかなくてもその時間はもったいなくなんかない。「うまくいかなかった」という結果はやってみなけりゃわからない。一番もったいないのは、迷っていて何もしない時間。どうせ失敗するならとっとと失敗した方がいいし、おいしい成功はその中に紛れている。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年10月9日
具体的には別記事で書くつもりなんだけど、このごろはブログを書くツールをいろいろと考えています。
というのも、去年の秋頃にめっちゃ考えて、一応落ち着いた状態になっているけれど、なんとなくしっくりこないな〜というのはずっと感じていて。
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で、自分なりに条件を整理したりしていたんですが、やっぱり「なにごとも試してみないとわからない!」という当たり前の結論に至ったので、自戒の念を込めてのツイートでした。
「変える理由」に意味なんてない。考える前に試せ!
で、で、別にこれはブログを書くツールとか、そういうものに限った話ではなくて。
「なんとなく気持ち悪い」「しっくりこない」「違和感がある」「たのしんで使えない」というのは、いずれもいまのやり方を変える理由をうまく言語化できていない状態。
これをうまく説明して「理由」を出さないと、これまでやっていたことを変えちゃいけない(ように思い込んでいる)、という状況はよくあるように思います。
でも、これをうまく言語化することにどれほどの価値があるのか。
じっさいのところ、そこに大した価値はないと思うんですよね。
理由を探している間も、抱えているモヤモヤは変わらないわけで。
で、理由を見つけたとしても「やっぱり!」ってなるだけ。で、結局変える。
だったら、そんな事を考えることなんかに時間を使うのはもったいない。
どんどんやり方を変えて、新しいツールを試してみたらいい。
そうしているうちに「コレだ!」というものを見つけることができれば、その瞬間に探していたものや理由はビビビッとわかるはずで。
もやもやも晴れて、言語化とかどうでも良くなるんじゃないかな。
まとめ:機が熟すことは死ぬまで待っても、ない。
このブログをはじめてから「試してみることにはなんの失敗もない」という考え方を持つようになりました。
前はどちらかと言ったら「こうと決めたことは変えたくない」というタイプだった気がしますが、もういまはブレまくりの変えまくり。
なぜなら、このアプローチのほうが正しいと確信を持って言えるから。
どこか落ち着いたところを見つけてそこからもう動かない、というのはある意味での完成形であり理想なのかもしれないけれど、そこにおもしろさはない。
だったら、やっぱりチャレンジャーでいたいな〜と思います。
これは、結果にこだわりずぎず、過程を楽しむことができるようになったということなのかもしれないですね。
振り返ってみると「機が熟す」という言葉が正しかったことは、これまで生きてきて一度もなかった。機を待って熟したことなんて無い。いつもさんざん待って「そろそろかな」とふとみると、いつもデロデロに腐ってた。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年10月9日