一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

物事は全部ポジティブに捉えればいいし、人生トータルでみたらきっとプラスにしかならない

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脳内メモ
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目の前にあることに意味を見出すのは、いつだって受け手である、というお話です。

物事はただ「在る」だけで、それ自体に意味なんてない

物事はただ存在しているだけで、それ自体に意味なんて無い。

考えてみればそれは当然なことで。

見聞きした物事に対してどういう意味を見出すのかは、全部自分の脳みそが決めていることなわけですね。

見聞きした物事にどういう意味を見出すかの自由は誰にも奪うことはできない

自分が見聞きした事実に対して、それをどう捉えるかという自由は、誰にも奪うことのできないもので。

だったらできるだけポジティブに受け取ったほうが良いんじゃないかな、と思っています。
というか、この世はポジティブに受け取ったもの勝ちの世界。

ぼくは、自分がどう受け取ったかで結果が大きく変わるようなことなんて、世の中にはそうそうないと思っています。

個人レベルにおいて、自分の捉え方次第でなにか物事が大きく変わってしまうと考えること自体、ある意味おこがましいんじゃないかな。
そんな心配しなくたって、きっと世の中そんなにヤワくない。

少なくとも、「自分がそれを見聞きして落ち込むかどうか」とかいう個人レベルの話では。

物事の捉え方はポジティブに全振りでOK。人生トータルで見たらきっとプラス

だったら、もう普段から全力で「全てをポジティブに捉える」というモードでいいと思います。

一番ダメなのは「悲劇のシンデレラ症候群」にかかってしまうこと。
そんなことしてても誰も得しないし、他人は関わりにくくなるはずだし、なにより自分が楽しくない。

そんなんだったら、徹底的に楽しんだもの勝ち。
それで誰にも迷惑かけるわけでもない。

それにたのしいモードのひとの周りには同じポジティブ思考の人もたくさん集まってくる。

これはいい意味でのフィルタリングになるということ。
ポジティブに全振りすることで、自然とネガティブなエネルギーに触れる機会を最小化できるというわけですね。

何が起きても全てをポジティブに捉えるようにすることで、ときには盛大にやらかしたりすることもあるかもしれない。

けれど、それは短期的、局所的なもので。
人生という時間軸の上で長期的にみたら、かなり高い確率でプラスにしかならないんじゃないかな。

まとめ

これらを考える上で大事なことは、できるだけ一次情報に触れるように心がけること。

誰かからの伝聞の形で触れた情報は、発信者が意図するしないにかかわらず、バイアスがかかってしまっているものだから。

伝聞の形で受信した情報には「必ず誰かの価値観(先入観)が含まれている」という認識を持つこと。

そして物事を受け取って意味を見出す時に大事なのは「自分にとって」というところ。
他人の価値観に振り回されていては、消耗するばかり。

自分にとってそれはどういう意味なのかを、自分の頭(価値観)で考えられるようにしておいたほうが、生きていくのがラクになるのでは、と思っています。

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