昨日書いた「新しい日記のカタチを模索するシリーズ」の続きです。
前回の記事はこちら:21世紀になったし、もう日記は音声入力で書いたら良いのではないか説
そもそもテキストにこだわる必要が無いのかもしれない
前回の記事でいろいろ書いているうちに「日記はテキスト」という価値観自体がちょっと古いのかもしれないと思うようになりました。
思えば、日記を書かなくなったのもそういう違和感が心のどこかにあったからかもしれません。
「毎日30秒ずつ今日あったことを話す自分を録画し続ける」とかどうだろうか?
もしかしたら、「毎日30秒ずつ今日あったことを話す自分を録画し続ける」とかが一番良いような気がするなぁ。
空気感も残せるし、スマホがあれば簡単にできるしね。
ストレージ単価もこれからは下がる一方だし、クラウドもあるから保存とかバックアップの問題も以前ほど無い。
リスクがあるとしたら、将来動画の規格が変わって、過去の動画日記が再生できなくなるのが一番怖いかなぁ。
でも結構いいセンいってる気はする。
Googleフォトみたいに「たくさんあるファイルのハイライトをかいつまんで良い感じにまとめてくれるサービス」にぶち込めば、手間かけずに良い感じの「今月のまとめ」とかつくれる気もするしね。
自分自身の録画は生々しすぎる?
ただ、じぶんで毎日録画メッセージを残し続ける、という行為はなんだか悲壮なシチュエーションとセットになっている感じがします。
どうしても「自分がいなくなったあとの世界に残す」という側面が強く出るからかな。
思えばこの手法は「僕の生きる道」とか「オデッセイ」みたいなものでしかみない。
ニュアンスは最高に残せるけど、なんだか生々しすぎるのかなぁ。
まとめ
こう考えてみると、紙っていうフォーマットは規格変更でみられなくなる可能性がゼロなのがすごいですね……!
画像はともかく、動画なんてどんどん新しい規格が出てきて、古いものなんて将来みられるのかわからないもんな。
日記というのはもっとエンターテイメントできる余地があると思うんだよな〜。
自分と向き合うツールとしての伸びしろがもっともっとあると思う。
うーん、それにしても、やっぱ録画はあまりに生々しいかもしれないなぁ。
もっと「じぶんがじぶんをたのしめる」を満たす良い方法はないものか……。