先日やってみた消しゴムはんこづくり。
関連記事:年賀状用に消しゴムはんこを作ってみたら無心になれて超絶おもしろかったの巻。
消しゴムはんこ作りははじめてやってみましたが、なんといっても「引き算の創造」というところが良いです。
何かを削り出す作業はついつい夢中になってしまう。
今回は消しゴムはんこを彫りながら頭に浮かんだ内容をまとめておこうと思います。
引き算の創造は「それはもう在って、あとは削り出すだけ」からスタートする
いっつも何かをつくるときって、足して足して、濃くして濃くして、そんで最後はよくわからないドロドロのものになりがち。
でも、そうじゃない創造のアプローチがあるんだなぁ、と。
引き算の創造は「それはもう目の前にあって、削り出すだけ」というところからスタートしていくところが気持ちいいです。
思えば、中高年の方の間で仏像を彫ったりするのが流行ったりしてて。
これまではその感覚がよくわからなかったんだけど「ああ、これってそれとおんなじかも」と思いました。
考えてみれば、陶芸も、ろくろをまわして形を整えながら不要なところを削っていく作業だなぁ。
何かをどんどん足していくのも、何かを削り出すのも、可能性の量としてはきっとどちらも等しく無限で。
だったら減らして減らして、純度を高めていくほうが、アプローチとして気持ちいい気がします。
そして、創造の過程で「無心になれる」のは引き算の創造だけなんじゃないかな。
「引き算のほうが良いものができる」という側面もあるかもしれないけれど、純粋に引き算って気持ちいい。
だからそっちのスタイルでやりたい、ということのような気がする。
まとめ
「引き算の創造」という概念自体は頭のなかに入ってはいたけれど、純粋に腹に落ちたのはこれがはじめて。
思いつきで消しゴムはんこをやってみたけど、意識の下に埋まっていた回路がつながっていく感じがして、気持ちよかった。
やってよかったな〜。
「創造」って言葉は別に大げさなものじゃなくて。
別にクリエイティブな仕事についていなくても、日々の仕事や料理だって充分な創造作業。
もちろんブログだって充分に創造領域の活動なわけで。
日々の中で、創造に時間を使うか、消費に時間を使うか。
そして創造においては足し算のスタンスを取るのか、それとも意識的に引き算のスタンスを取るのか。
なんとなくぼんやりとしていた部分が言語化できてちょっとスッキリした感じです。
このへんはまだまだ考え込んでいきたいテーマですな〜。