前に比べて音楽に対する距離感が変わってきました。
そこから派生して、なにかに依存する怖さについても。
「自分には絶えず音楽が必要なんだ」と思いこんでいた
前は隙間を埋めるように音楽を聴いていたけど、いまは必要なとき、ほしいときにちょっとだけ流して満足するようになった。静寂は気持ちいい。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年9月16日
前は「常になにか音楽が流れていないと気持ち悪い」という感じだったのですが、このごろはガラッと変わってきました。
むしろいま思うのは、自分が「そう思い込んでいた」だけなんじゃないかなってこと。
そういう自分でありたい、という無意識な感情があったのかも。
いまはそういう気持ちはまったくなくて、むしろなんでいままで音楽をかけながら活動できていたのか不思議でしょうがない。効率悪かったのでは……。
いわゆる「作業」のときは音楽をかけることもありますが、ブログを書いたり多少脳みそを使うことに取り組む場合は、いまは「完全無音」です。
なるべく何にも依存しない状態に自分を持っていく
気分が乗らない時に、音楽をひとつの「きっかけ」にするくらいなら良い。
けれどそれがエスカレートしていくうちに「その時の自分の気分にマッチする音楽がみつからないと調子が出ない」となってしまうときもあって。
それって音楽に良くない依存をしてしまっている状態。
なにかに依存すると、それにひっぱられて上がることもあるけれど、当然落ちることもある。
いまの生活で、音楽を聴かなくなってきたのはただの偶然なんだけど、そこでハッと気がついたのは「なにかに依存することの怖さ」でした。
そもそも考えてみれば、自分がコントロールできない要素を自分から増やす理由なんてないわけで。
何事も、調子の波を減らして、淡々とすすめることが一番遠くに行ける秘訣。
そう思うようになってからは、依存になりそうなものからは距離を取るようにしています。
まとめ:「なにごとにもこだわらない」というこだわりを持て
もし、なにかひとつこだわりを持ちたくてしょうがないときは「なにごとにもこだわらない」というこだわりを持てば良いんじゃないかな。
「なにごとにもこだわらない」というのは、じつのところ、森博嗣さんの受け売りです。
今年は森博嗣さんのエッセイをたくさん読みましたが、書いてあることがものすごくかっこいいので、気になる方は手にとってみてください。
ぼくの一番のお気に入りは「孤独の価値」です。