このごろ考えているのは「踏み込まない強さ」について。
自分の理想とする「強いひと」の条件をよく考えるのですが、そのひとつに「踏み込まない強さ」というものがあるのではないか、と気がついたから。
今日はそのことについて、今の気持ちを記事にしておきます。
自分のポジションを固めるとしんどくなる
「踏み込まない強さ」というものをもっと追求したいと思った。
例えば「石の上にも三年」という言葉を、肯定もしないし否定もしないで、自分の中で泳がせどちらも「アリ」とする。
ポジション取るのは簡単なことだが、踏み込まないままでいるためには懐の深さが要る。
どっちも取れる方が強い。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年9月29日
上のツイートで例として挙げたのは「石の上にも三年」の話。
よく
- 「石の上に3年」は無駄。できることもできなくなる
- 「石の上に3年」は必要。ベースなしにはなにもできない
というような議論がありますが、僕の中ではこれに対する結論は「そんなことわからない」というもの。
純粋に「ケースバイケース過ぎてわからない」し、極論に意味なんて無いと思っているから。
でも、やっぱりこうしたいわゆる「お題」が目の前に降ってきたとき、自分なりのポジションを決めていないと不安になることもあって。
それに、周りから「お前はどうなんだ」と迫られるときもある。
だけど、ポジションを取って「自分はこっち」と周囲に宣言してしまうことは、僕にとっては「変わり続ける」というなにより貴重な権利を放棄することに近い。
その場限りのスタンスアピールのために自分を縛り付けることは、ちょっと割に合わないような気がしています。
踏み込まないまま「気持ち悪さ」と真摯に向き合う
このスタンスの問題はどちらも一長一短なので、どっちを取ってもそれなりのしんどさはある。
- ポジションを取ることは安心だけど、自分が縛られる
- ポジションを取らないと不安だが、変わり続けられる
その中でひとつ思うのは「ポジションを取ること」は実は「痛みは少ない」選択なんじゃないかな、ということ。
だって、一度自分がどちらに属するかを決めてしまえば、一定数の味方は手に入るし、もうそれについて悩む必要はなくなるわけだから。
それに対して、ポジションを取らずに正解を考え続けることのほうが、痛みは大きい。
これは簡単に自分のスタンスを決めて宣言するよりもよっぽど難しいことだし、誠実なんじゃないかとさえ思う。
まとめ:気持ち悪さを抱えたまま歩き続けるひとは強い。
自分には才能が「ある」と思っても「ない」と思っても、なんか途中で限界がきて伸びが頭打ちになる気がする。たぶん一番伸びるのは「わからない」と思いながらやり続けることで、でもそれはいつまでも答えが出ないから一番くるしい。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年10月2日
タイトルにも書いたけど、「踏み込まない強さ」というものは、長期的な物事に取り組む際には意外と大事になってくるものだと思っています。
たしかに、足場を固めることで、すぐに前に進むことができるようにはなる。
だけど、その一方で、足場を固めた瞬間に自分が到達できる範囲は決まってしまう、というか。
足場を固めないままに前に進むことは不安だし、効率も良くない。
だけど僕は、気持ち悪さを抱えたまま歩き続ける事のできる人に憧れるし、そうありたいなと。
それが、最終的に、いちばん遠くに歩いていける方法だと思うから。