一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

否定を足がかりにせず、ストレートに愛を語れ

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脳内メモ
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こないだこんな記事を書きました。
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この記事は、その続編のような位置づけ。

自分の良いと思うことについて語るとき、ストレートにそれについて語ったほうがかっこいいよね、という話です。

何かについて語る時、別の何かを否定すると途端に薄っぺらくなる

否定などの強い言葉を使った意見って、インパクトがあるからか短期的には刺さるし、拡散されやすい。
だから、あえてテクニックとしてそういう主張の仕方をしているひとがいるのもわかってる。

だけど長期的な視座に立った時に本当にプラスになるかというと、ぼくはうーんという感じ。

結局、自分が好きな何かについて語る時に他のものを貶めることは、回り回って自分が良いって思っているものを汚すことにつながると思う。

あと、否定を立脚点にすると「Aがだめだと思うからBを選んでいる」というような主張にきこえてくる。
それってまるで、「私は消去法でこれを選びました」って言っているみたいじゃないかな。

内容はいいこと言っていても、それってすごくもったいない。

否定は自分の可能性をガンガン狭めるし、主張は薄っぺらくなるし、一切メリットがないと思っています。

もともと、いろんな主張はあって当たり前。
そこでいがみ合う必要なんてなくて「あなたもOKだし、わたしもOK」でいいじゃん。

多様性というのはそういうことだと思うし、そんなことで争わなくて良い社会が「豊かな社会」ということ。

「正解」なんて学校のテストだけの幻想で、世の中にはそんなものないんじゃないかな。

まとめ

少なくとも自分のスタンスを決める時、そういうスタイルの主張を鵜呑みにしないこと。

ありもしない対立軸をつくりだしてそれを元に論を展開するのは、やっぱりちょっとかっこわるい。
そういう主張に出くわした時、裏にあるマッチポンプを見抜く力は忘れないようにしたい。

否定の言葉って、自分にかける呪いの言葉と同じで。
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ほんとうに自分の価値観を信じているなら、まっすぐにストレートに愛を語ったほうがかっこいいと思っています。
それが自分が良いと思うものに対しての、一番誠実な向き合い方なんじゃないかな。

インターネットはもっとラブアンドピースなところだと思っています。

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