このところおやすみしていたランニングをそろそろ復活させます。
久しぶりの12キロラン。モヤモヤした思考を進めるにはとにかくランニングすべし!思考の棚卸しもできるし、走りながら考えれば脳味噌の片隅から思いもしないアイデアが必ず転がり出てきます。
8月のランニングは8月21日までに54キロ走っていましたが、
そこからは北海道旅行に行ったり風邪をひいたりでしばらくおやすみしておりました。
特に今年の8月は天気があんまり良くなくて、毎日太陽もみえず、肌寒かった。
さらに9月に入ってからは梅雨みたいな長雨で、ランニングを再開させるタイミングを逸しておりました。
そんな感じで毎日を過ごしていたんだけど、やっぱりランニングしないで過ごす日々はストレスがたまります。
このごろはなにか特に困っていることっていうのはないんだけど、
自覚もないうちに小さな小さなストレスが積み重なっていて、掴みどころがないもやもやに支配されていました。
これといった心当りがないのになんだかしんどくなってきて、
いつのまにかにキャパオーバーになっているのだからおそろしい。
そんな感じで今日の夜も過ごしていたんですが、なんだか、急に蛍光灯の光にうんざり。
そういえばこのごろは考えるための時間も確保していなかったな、と思い、
いっちょ思考の棚卸しをやるつもりで走りに行くことにしました。
走りながら考えると、思考も前に進む。
ランニングをはじめると、さっきまで部屋で頭のなかをぐるぐるぐるぐるまわっていた
いろんなモヤモヤとかグチャグチャが頭のなかから一気に噴出してきてもげーとなりますが、
しばらく走っているとそれも出尽くして、そのあとはぽんぽんアイデアや打開策が湧いてくるから不思議。
紙もペンもパソコンも机もなくても、人間って考えることができるもんだなー。
むしろなんにもないのがいいのかもしれない。
なんというか、走って身体を動かしながら考えると、思考も前に進むような。
身体が段差を乗り越えて走っていくように、思考にちょっとした壁があっても
走りながら考えることで簡単に乗り越えることができて、考え付きもしなかった新しい境地に辿り着ける感じ。
机に座って考えていただけじゃ絶対に出てこなかったアイデアが浮かんだりするから面白い。
コレっていうのが出てきたら、ちょっとだけ立ち止まって忘れないうちにiPhoneでメモします。
このときもあくまで流れを壊さないように、パッとメモしてまた走り出します。
そんな感じで、考えるためにランニングに行ってきたら、家に帰ってくる頃には
両手に持ちきれないくらいの打開策とかアイデアが満載となっていました。
ランニングは思考と相性が良いんだなー。さすが、動的な禅と言われるだけある。
人間って、思考の前輪と、行動の後輪でできているのかもしれない。
ここまで書いて、人間って、思考の前輪と、行動の後輪でできているのかもしれないなぁと思いました。
思考が前輪、行動が後輪の車に乗っていて、ふだんはどっちかだけで走っている。
で、ふとしたときにくぼみにはまって前輪だけや後輪だけでは抜け出せなくなっちゃうんだけど、
そんなときは動力を前輪から後輪、もしくは後輪から前輪に切り替えることでうまいことくぼみから抜け出せる、みたいな。
まぁいつも4WD全開で進めたら一番いいんだけれど、いつの間にか2WDになっちゃうんだよねー。
よく言われる「頭が動かない時は手を動かせ、手が動かない時は頭を使え」っていうのも言ってることは同じかもね。
ランニングしている時点でその瞬間の時間効率は100%なので、だったらぐじぐじ考えてないで、走りながら考えればいいじゃん、と思った。
部屋でモヤモヤしているときは「もっと時間をうまく使いたいな」とかって考えているわけですが、
走っている時間は少なくともランニングに充てることができていて時間効率100%なんだから、
ぐじぐじ部屋で考えこむくらいなら走りながら考えればいいじゃん、と思いました。
走りながら考える。文字通りの意味でも、比喩としての意味でも、そうありたいものだなー。
なんだかいろいろ書いたけど、ランニングはいいですねー、という話でした。
ただ走っていないだけで生活になにか影響が出ることなんてないと思っていたけど
知らず知らずのうちに鬱積した何かが溜まっているもんなんですね。気をつけよっと。
というわけでランニング復活しますので、これからもまたちょこちょこ記事を書いていくと思います。
よろしくお願いします。
なんにも決めずに浮かんでくる思考をズルズル書き出すと面白いので、またこういう記事書きたいなー。