このごろ何冊も本を読んでいるうちに、物事を上達させるコツみたいなものがなんとなくつかめてきたので、整理がてら記事にしておきます。
結論から言うと「試行錯誤の回数を増やすために作品の粒度を極限まで小さくして多作路線を歩んだほうが成長しやすい」ってこと。
ポイントはこんな感じ。
- 大長編でも短編でも、1作で回せるPDCAは1回で同じ
- 短期間でPDCAを回せると加速度的に成長できる
- 3年、5年……と長いスパンになるにつれその差は絶望的なまでに広がっていく
順を追って説明する。
大前提: 大長編でも短編でも回せるPDCAは「一作品で一回」で同じ
話をわかりやすくするために、次のスタイルの作家を考えてみる。
- 「長編志向」のAさん: 1年かけて大長編を1作
- 「多作志向」のBさん: 1年かけて短編10作
ここで死ぬほど大事なのは「どんなに完成度にこだわった大長編でも、それほど労力をかけずにつくった短編でも、ひと作品を作り上げる過程で経験できるPDCAは同じ一周」ということ。
PDCAを高速で数多く回せるのは断然、多作志向
小さな短編を10作つくれば、長編を一本つくるより、単純計算で10倍のPDCAが回せる。
これは、ものすごいアドバンテージで。
試行錯誤の回数が多く取れるということは、「作品を良くするための実験を多く仕込むことができる」ということ。
短編を短時間で量産したほうがPDCAの積み上げが効くため、
- 改善スピードが上がるのでクオリティを一足飛びで高められる
- 「一作仕上げる」体験を繰り返すことで生産速度が上がっていく
つまり、成功に必要とされる「質」と「量」をどちらも取り込むことができるのがこの多作志向のアプローチ。
長期になるとこのアプローチの差は絶望的なまでに開く
これって短期でみると「ま、そんなこともあるよね」って感じかもしれないけど、これで終わりじゃない。むしろ序の口すぎる。
もっと恐ろしいのは、長い目で見た時、この差はもっと指数関数的に広がっていくところ。
というのも、多作志向はPDCAをめちゃくちゃ回してるので、どんどん良い方法を身につけられる。
だから、3年というスパンで冒頭の二人をとらえ直すと、こういう展開は十分にありえる。
- 「長編志向」のAさん: 3年かけて大長編3作
- 生産速度はやや改善されるが、3作ではほぼ変わらない
- PDCAが回せないのでクオリティの改善スピードも鈍い
- 「多作志向」のBさん: 3年かけて短編15作、中編3作、長編1作
- 何作もつくっているうちに、生産速度が上がって、より多作になる
- 短期間でPDCAをまわすことでクオリティ改善のスピードが早い
- 「一作仕上げる」経験を多く積むので、次第に中編、長編にも手が出せるようになる
これを5年、10年……と考えていくと、その差は残酷なくらいに明白。
本来は短編のフィールドで戦っていたはずの「多作志向」が、ものすごくクオリティの高い長編を目を見張るほどの短時間で仕上げてくるのも時間の問題なわけです。
多作であることだけで成功確率は上がる
さらに言えば、単純に「多作な方が成功確率は高まる」というのも見逃せない事実。
なぜかというと、「1年かけて1作しかつくれない」ひとは、それが外れたら終わりだから。
そりゃ個人的に得るものはあるだろうけど、他者から見たらそんなの関係ない。
そうなると、その1年間やってきたことがまるまる評価されないってことになる。
それって冷静になれば、バクチ以外の何物でもない。
一方で多作な方は、1年かけてつくった10作のうち、ひとつでもヒットしたらまだ次がある。
そして仮に全て外したとしても、「1年あれば10作つくれる」というところですでにアドバテージがある。
ポイントまとめ
まとめると、
- 多作であれば、試行回数を増やすことができる
- 試行回数が増えることで質も量も高まっていく
- 多くの短編を作っているうちに長編をつくる基礎ができる
- 長いスパンでみるほど「多作志向」と「長編志向」の差は開いていく
- リスク管理の点からも多作志向は生き残りやすい
- 「多作であること」それ自体がひとつのアドバンテージになる
これって実は、前に書いた「生産速度が大事」ということにつながるわけで。
この考えに至ってから、僕は断然、多作志向。
まとめ:気づきそれ自体に価値はない。ひたすら実践あるのみ。
今回は自分の頭の中の整理も兼ねて記事にしましたが、こういうのって実は本とか読めばいくらでも書いてあることで。
それでもなかなかうまくいかない人がたくさんいるのはなんでかと言うと、やっぱりみんな「やらない」から。
気づき、それ自体に価値はない。意味があるのは行動のみ。
というわけで、今日もがんばりたい。