一行日記11/27 炊飯器でつくるポトフ楽でいい

ブログはインターネット全体が相手だからこそ、圧倒的にフェア

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ブログ運営のメモとか
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ブログってものすごくフェアな仕組みだと思ったので、その思いの丈を書いておこうと思います。

個人が下す評価はあてにならない

考えてみれば、ふだんの社会生活で自分に向けられる「評価」って、えてして学校とか職場とか家族とか、そういうクローズドな環境で、限られた関係者によって下されることがほとんど。

でもぼくは、そんなもの一切あてにならないと思っています。
なぜなら、ひとりひとりにフォーカスした時、やっぱり人間なので評価にばらつきがあるから。

たとえば「なんとなく好きだからA評価」とか「なんとなく気に入らないから認めない」とか。
これが良いか悪いかは別として、事実として、そういうふうにバイアスがかかっているのが普通。

そういう条件下での評価って、評価者が少ない時点でかなりの「運ゲー」なんですよね。
運が良ければ良い評価、運が悪ければ悪い評価。

それはその人自身のがんばりを直接反映したものにはならないことがあるわけです。

市場が下す評価は客観的なものに収束する

一方、「市場」からの評価には、個人ごとにみられるような評価のばらつきはみられない。
なぜなら、マスを元に割り出される評価は、自然と客観的なものに収束するから。

つまり、市場というフィルタで、個人個人の評価でみられるような「ばらつき」が平滑化される。
その結果、インターネットが下す評価は、不確定要素が限界まで排除されたものになる。

不確定要素がないってことは「全ての結果は自分自身の行動にかかってくる」ということ。

つまり、やったらやっただけ伸びるし、やらなかったら結果は出ない。

基本的に、記事を書いたら書いただけアクセスは伸びる。
その中でもいい記事を書いたらそれはちゃんと読まれるし、つまらない記事は読まれない。

それって、どこまでも晴れきった空みたいに、ものすごく気持ち良い。

まとめ

ぼくは、インターネットという「市場」はものすごくフェアな仕組みだと思っています。
ブログの好きなところはたくさんあるけれど、これは声を大にして言いたいところ。

インターネットでの評価は、すべては気持ちいいくらいに自分次第。
ぼくはその圧倒的なフェアさが好きですね。

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