一行日記4/17 そろそろ今年のベランダ菜園計画を立てるか……

ある分野でトップに立ちたかったら、まずは「怒られるまで」やり込もう。話はそれからだ。

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脳内メモ
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ものごとを突き詰めていく途中で「やり込みすぎてひとから怒られるかどうか」。

これは、進んでいる方向性やリソースの投下量が十分かどうかを考えるにあたって、ものすごく良いバロメータだと思っています。

自戒を込めて、ちょっといつもより意識高めの記事。

「ゲームは一日一時間まで」を守ってプロゲーマーになったひとはいない

わかりやすいのは、プロゲーマー。

多くの人は、小さいころにゲームばっかりやって親に怒られたことがあると思います。
ふつうは怒られたらそこで仕方なくやめちゃう。それがふつう。

だけど、いまプロゲーマーになっているひとに「子供の頃はおとなしく親の言うことをきいてゲームは一日一時間まででした」ってひとはいないんじゃないかな。

もし何者かになりたかったら、「怒られる」ということは当然の通過儀礼であると考えるべきです。

他者の目なんか気にせず、躊躇なく全リソースをぶっこむこと。
波風立てずに平和主義でトップをとれることなんてないと理解すること。

まずはそれが大前提。

怒られないように手加減して取り組んでいるうちは永久に結果は出せない

トップを取りたい分野があったら、そこで変に空気を読んで手加減するのはやめましょう。

他人の顔色伺って自分のやることを制限していては、いつまでたってもたいした結果は出せません。

理不尽に怒られても外野から何を言われても、くじけずガンガンやっていける人は本当に強い。
メンタル的にはサイコパスが最強。

怒られないということは「まだまだやり足りない」ということ

「人に怒られるまでやる」というのは、自分のやりこみが足りているかを判断するにあたっての、ひとつのわかりやすい線引きとして使えます。

逆に言えば、怒られてすらいないのなら、それはまだまだやり足りないと言うことで。

むしろ「怒られるのを楽しみにしてギリギリのチキンレースを攻めていく」くらいがちょうどよいと思っています。

もし、自分が目指している分野にいる周りの人が「怒られたくないから手加減してそこそこの結果をねらっていこう」と思っているなら、それはめっちゃブルーオーシャン。

自分がこれと決めた分野で結果を出したいなら、同じフィールドにいる他の人たちが「あいつは狂ってる。到底勝てっこない」と自分から諦めてしまうくらい、徹底的にやり込んでいくべきです。

相手の怒りを観察して、自分の進路を探ろう

で、ガンガンやっていると、いつかどこかでひとから怒られます。
そしたら、ようやくそこからが本番。

怒られたら「相手がなぜ怒っているか」を集中して五感をフル活用して観察しましょう。

ぼくはこの手の怒られパターンはあんまりないと思ってます。
だいたい以下のふたつに大別できます。

  • 頑張られることが自分にとって不利益だから、怒って止めに来ようとしてくるパターン
  • 無気力な自分を正当化するために、怒ることで足を引っ張ろうとしてくるパターン

いちおう、怒りをぶつけてくる人たちの中には「どうみてもやりこみの方向性がおかしいのでアドバイスしてくれるパターン」というのもありえます。
が、そういうひとはふつう「怒り」ではなく「対話」で接触してくるはず。

ある意味「怒り」というのは打算のないピュアなもの。
なので、他者の考えていることを収集するにあたっては、これ以上良質なデータソースはない。

もし相手の怒りを観察して、それが単なる「相手の保身のため」だったら、いま進んでいる道はそんなには間違っていないという大きな判断材料にできます。

そういうわけなので、一度怒られたら、さらにたくさん怒られるようがんばりましょう。
集めた怒りを「自分の行動へのフィードバック」ととらえて分析を繰り返すことで、自分が進むべき方向性の精度も上がっていくはず。

たった一度怒られたからといって、そこでめげてやめるのが一番もったいないです。

やりすぎて失うものなんてなにもない

そもそも、別にやりすぎて失うものなんて何もないわけで。
空気を読まずにやり続けた結果、がつんと怒られたって別に痛くも痒くもない。

逆に「あいつには何を言っても仕方がない」と思われたらしめたもの。
そのポジションは取ろうと思ってもなかなか取れない、美味しいものです。

もし途中で自分の方向が間違っていることに気がついたら、すぐに方針転換すればいいだけの話。
そして、また怒られるまでガンガンやればいいだけ。

徹底的にやり込む体験は財産。その肌感覚を知っているとどこでも応用が効く

「怒られるまで自分のリソースを投下してやり込む」という体験を一度でもすることは大事。

  • 全リソースをがっつりぶっこむというのはどういうことか
  • その結果どういう結果が得られるのか
  • リソースを全力投下した場合、どのくらいの期間でどの程度のレベルに到達できるのか

という「肌感覚」が得られれば、それは失敗でも何でもない。
これは傍から見ているひとには絶対に得られないもので。

それはハンパな成功を10個あつめるより価値のある、とても貴重な経験値です。

まとめ:「怒られない」ということは存在価値を示せてないということ

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怒られるまでやりこんでもいないのに花開くものなんて、何もないわけで。

なにかでトップ層に食い込みたいとしたら、「他者から怒られる」というのは、超えるべきはじめのハードル。
きっと、洗礼とか、登竜門的みたいなもの。

ちょっと突っ込んだ書き方になりますが、「いつまで経っても誰からも怒られない」ということは、まだ周りに存在価値を示せてないということ。
なんの波風も立てられないようでは、なにかを達成することはむずかしいです。

もし自分が頑張りたい分野があるなら、可もなく不可もなく過ごしているのは時間のムダ。
とっととぶっこんで、そして怒られて泣いたほうが得られるものは何百倍もある。

怒られたりディスられたりしはじめたら、それがスタートの合図。

自戒も込めて。では!

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