このごろ思うのは、なにもないところに「価値観」や「文化」をつくっていくことが一番ワクワクすることなんじゃないかなってこと。
これからは「価値観のプロデュース力」が問われる
誰も注目してこなかった概念やおもしろさに注目して、そこに名前を与えること。
それってつまりは、価値観のプロデュース。
誰も見向きもしてこなかったものに徹底的に入れ込んで、そこに「新しい価値」という見出しをつけて、もう一度世の中に放つ。
これからは、そうやって自分が新しく見出した「価値観」を売る仕事がどんどん存在感を増してくると思う。
「価値観のプロデュース力」が問われる感じ。
お正月になんとなくピーンときて「今年はお金にならないことをしたい」と思ってそんな記事も書きました。
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ずいぶんと時間差があったけど、いまようやく「こういうことだったのか」と腑に落ちたような気がします。
もちろん、入れ込む対象はなんでもよいわけじゃなくて「自分が無条件に好きになれること」じゃないと成り立たない。
極論を言えば「まだ誰もいない、何もない空間にいかに興奮できるか」という話で。
誰もいないところで、ひとり熱狂する。
それって周りからみたらちょっとおかしなひとなのかもしれない。
けれど、理解されなくていい。
むしろ、簡単に理解されるものは「もうある」ものだから、誰にも理解されないくらいがちょうどいい。
新しい未来を切り開くのはいつだってそういう人間なんじゃないかな。
まとめ
ぼくは、ルールや枠組みを与えた時、人間は勝手にそこに文化をつくっていく生き物じゃないかと思っています。
たとえばサッカーだって、いまは世界的なスポーツだけど、きっとはじめはなんにもない平原で石を蹴って遊んでいたところがスタート。
これが次第に広がって、いつしか誰かが「手は使っちゃだめ」ってルールをつくって。
ひとたびそういう枠組み(ルール)ができると、そこに競技性が生まれる。
すると、そのルールの範囲のなかで技術を限界まで結晶化させる人達が出てくる。
そうして突き詰められたそれらがぶつかりあうときに散る一瞬の火花こそが「文化」なのかなと思うんです。
そして、何もない空間に、おもしろい「文化」が生まれる未来を見通した美しい「枠組み」をデザインすること。
誰も考えていなかったような「新しい遊び」を提案すること。
それが、プリミティブな意味でのクリエイティビティなんじゃないかと思っています。