こないだから触りはじめたサービス、polca(ポルカ)。
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いろんな案件を眺めてみて思ったことがあるのでメモ。
Polcaは企画者自身を否応なく浮き彫りにする「フィルタ」。
少しさわってみて、 #polca は「フィルタ」なんだと思った。「やりたいこと」だけじゃなく、そのひとの哲学、プレゼン力、他人をどう見ているのか。そういうものを含めた「その人自身」を否応なく浮き彫りにする。だからポルカはフィルタ。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年8月30日
もう一歩踏み込むと #polca は「募集している人がお金という概念をその人の中でどう定義しているか」を炙り出すツールとも言えるんじゃないかな。だって、たかがお金でしょ。それをあえて人から集める、その意味をどう自身で定義しているのか。そこが千差万別だなーと、案件を眺めて思う
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年8月30日
ざっくりいうと、ポルカの企画ページには「その人自身がお金と言うものをどう考えているか」が強烈に反映されていると思うんですよね。
単になんとなくで「お金がほしい。いま流行ってるpolcaならいけるんじゃね?」っていうのはみてすぐわかる。
そういう企画はあんまり応援する感じにはならないし、実際にあんまり応援も集まってない。
polcaの一番おもしろいところは、企画者の人間性、もっと言えば「募集している人がお金という概念をその人の中でどう定義しているか」というのが透けてみえるところだと思ってます。
インフラが整うにつれて、お金を集められるひととそうでないひとの差が広がっていく
やっぱりpolcaには自分で企画を立てるおもしろみ(≒難しさ)があるなー、と思います。
たしかに、polcaをはじめ、いろんなプラットフォームが出てきた結果、お金を送りあえるハードルっていうのはものすごく低くなった。
その結果、見ず知らずのひとにお金を送ることに対する抵抗感みたいなものはなくなりつつあるように感じます。
でも、その一方で「だれでもいいの?」といったら、そうじゃない。
当然誰だって、自分でお金を出すときには、納得感を持って出したいはず。
お金を投げ銭できるインフラが揃う。
すると、一見してこれからは「だれでも簡単にお金は集められる」ものと思い込む。
けれど、実際は、インフラが揃うにつれて、お金をうまく集められるひととそうでないひとの差がどんどん広がっていく。
さらに、支援が集まるかどうかは公開の場ではっきりと数字で出る。
ある意味で「人間性」を担保にお金を集められるかどうかというゲームで、それってすごく残酷。
でもすごくイマっぽい。
まとめ:これからもおもしろい案件あったら応援します!
polca、かなりおもしろいプラットフォームなのでこれからも注視していくつもり。
はじまるときにグッと盛り上がったけれどまだまだ駆け出し。
さらに真価が問われるのはこれからという感じもします。
またおもしろそうなやつにお金払うノリになったら記事にします!