最近感じていること。
小さい頃は「変わり者」というのは褒め言葉として考えていました。
でも大人になってからはむしろ、「あのひとは変わり者だから」という言葉があるように、変わっているというのは少し否定的な意味を込めた言葉であると感じています。
今日はこの記事で、今の自分の考え方をまとめておきたいと思っています。
「変わってるよね」という言葉の裏側にあるもの
結局のところ「変わっているよね」という言葉は、
- みんなと同じであることこそが正義で、それ以外を許さないという考え方
- これまでと違うことへのチャレンジを排除しようとする雰囲気
から発される言葉なんじゃないかなと思っています。
この根底にはきっと、「人と違うことができているひとがうらやましい」という気持ちがあって。
それは今の自分にできないことだから、自分を守るためになんとなく否定してしまう。
その行動原理自体はとてもよく共感できるもの。
でも、それって百害あって一利なしだと思うんです。
何かを否定することは、巡り巡って自分を縛ること
こういう言葉の一番おそろしいところは、自分の言葉によって自分自身がガチガチに縛られてしまうところ。
ひとたびそういうスタンスを取ってしまうと、どんなに変わりたいと思っても、自分自身の言葉がそれを許してくれない。
相手のやり方で素晴らしいところがあったら、それを取り入れたら良いだけの話なのに、それすらできなくなってしまう。
そうなると誰が一番不幸なのかといったら、それは選択肢を奪われた自分自身なのかな、と思っています。
まとめ:自分の意志で自分の行動は変えられる。
世の中には「あのひとって変わってるよね」を褒め言葉として使う人と、ネガティブな意味で使う人の2種類がいる。
僕は前者でありたいし、前者の意味でその言葉をかけられたいし、前者の使い方をする人と一緒に働きたい
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年8月11日
自分にはできないことをいともたやすくやってしまうひとは、やっぱりどうしたってうらやましい。
特に自分が好きな分野、全力を傾けてきた分野であるほど、その気持ちは大きくなるもので。
でもそこで感情的になって「否定」というルートに入ってしまうことは、ものすごくもったいないこと。
せっかくならこれまでの自分のやり方を見直して、一つでも良いところを吸収できるように、相手のやり方を受け入れて真似してみる。
それは自分がそういう意思を持ちさえすれば、きっといまこの瞬間からできるはずで。
そういう柔軟さがあると、これまでよりも成長のスピードを上げることができるし、少しでも遠くまで進むことができる。
いらないプライドを意志の力で手放すことができると、人生はよりハッピーになると思っています。
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