一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

自分の中の二面性を許容できると生きるのがラクになるし、意図して二面性を持てるひとは強い

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脳内メモ
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「自分はこういう人間である」と決めすぎないことの重要性について。

じぶんでなにかをはじめた時、「こうであるべき」という最初に決めたスタイルにとらわれすぎてそのまま沈んでいく人って意外と多い。

それよりは、状況が変わってきたらそれに合わせて臆面もなく自分のすすむ方向を変えられるひとのほうが生きやすい世の中になってきている気がするなーと思ったというお話です。

自分の中の二面性を許容して、意図的に使い分けられるひとは強い

ぼくたちはいつしか、自分のスタンスをはっきり決めて、そこからぶれないことを美徳とする価値観の中で育ってきた。

強い意志を持って「自分はこういうタイプだ」「これが俺のやり方だ」とはっきりいえる人間。
そういう人ほど立派な印象を受けるし、そういうひとが好まれてきた世の中と言えるかもしれない。

でもそれだけが本当に望ましいかたちなのかと言われると、いまはすこし違ってきているんじゃないかと思う。

ひとつの価値観に縛られていると、別の道が見えなくなる時がある。
別の道のほうが良いと頭の中では気がついていても、そっちに踏み出せないこともあるかもしれない。

だれに言われたわけでもないのに、「このやり方を変えてはいけない」と、架空の誰かに対する義理を通そうとしてしまう。
そこには誰もいないし、誰も自分を縛ってはいないのに。
これって真面目の罠。

学校では答えのある勉強ばかりやらされるけど、いざ社会に出てみると先生もいないし、ひとりで考えて試行錯誤しながら前に進んでいかないといけない状況っていろいろあって。

そういうときは、どんどん自分で自分のやり方を変えていけるような人が強い。

誰に言われなくとも「ここでは学校で良しとされてきた方法とは違うやり方に切り替えたほうが良さそうだ」と気付ける人は結果を出しやすいんじゃないかなー。

まとめ

「自分はこういう人間である」と決めすぎないことは、けっこう大事なんじゃないかと思っている。

それってつまりは自分を客観視できているということで。
状況に合わせて自分の色をカメレオンみたいに変えていくことはかっこ悪いことじゃない。

頑固に一本筋を通しているひとはわかりやすいし、かっこいいし、憧れる気持ちもある。
けれど、それは自分を縛り付けて「こうでなればならない」と執着している状態。

意図して「テキトーなぶれまくる人間」というポジションを取りに行けるひとは強い。
ある意味での高度な自己プロデュース能力だと思うんだよね、これって。

そういうふうに柔軟に構えていたほうが長期的にみて何かとうまくいくような気がしますね〜。

なにより気楽な感じがするので、ぼくはそっちの方向に進んでいきたいなーと思っています。

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