一行日記11/27 炊飯器でつくるポトフ楽でいい

「たかが」は自分を客観的な立場に置くためのキーワード

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脳内メモ
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自分で一生懸命取り組むことも大事だけど、当事者であり続けちゃうと、しんどいときってある。

そういうときに、いったん引いた視点を持てるかどうか。

そのときのキーワードが「たかが◯◯」なんじゃないかと思います。

「たかが◯◯」と思える自分を許可する

◯◯に入る言葉は、ちょっと考えるだけでいろいろあります。

例えば、仕事。
例えば、親。
例えば、お金。
例えば、人生。

人生はさすがにぶっ飛びすぎなような気もしますが、でも意外とそんぐらいでちょうどいいのかもしれないですね。

それにしても、少し挙げてみるだけで、なんだか高い塔のギリギリのところに立っているような、脚のすくむ気持ちになります。

試しにでも、こういう考えを自分の内に宿すこと自体、ちょっと怖い。

一度考えたが最後、いままでの自分とは違う人間になってしまいそうな、もう戻れないような、そんな気がする。

でも、ひとりで背負い込みすぎてどうしようもなく苦しい時、強制的にでも自分を引き剥がすための言葉としてはアリな気がします。

じぶんの精神の可動域を広げるような、そういうストレッチ的な意味合いになるのかなぁ。

まとめ

「たかが◯◯」というフレーズはかなり強烈。

だけどそのぶん、追い込まれてどうしようもなくなった時、リアルから距離を置けるひとつのツールとして使うことができるかもしれません。

ある意味、ポケットにナイフを忍ばせる気持ちに近いんだろうか。
絶対に使うことはないけれど、なんだか安心するような。

いざというときに自分を守るために、精神的なシェルターみたいな場所を持つこと。

自分なりのそういう拠り所をつくっておくことは悪いことじゃないと思います。

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