2018年の年末に、北区田端にあるチュプキという映画館で「この世界の片隅に」を観てきました。
今日行ってきたのはこの映画館。すごく小さくて素敵な映画館だった。
東京・田端のユニバーサルシアター「シネマ・チュプキ・タバタ」で「この世界の片隅に」が上映(旅行読売) – Yahoo!ニュース https://t.co/jSdbDMcGJP @YahooNewsTopics
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
映画「この世界の片隅に」の感想ツイート
今日はずっと行きたかった映画館で #この世界の片隅に を観るぞい。良き締め。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
これでもかというくらい泣かされた。頭痛い #この世界の片隅に
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
はじめのシーンで橋の下を船がくぐったときにニコってなるシーンでなぜだか泣けたし、そのすぐあとにうっすらとしたタイトルが画面に出てきたところでまた泣いた。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
良い映画見て、なんか溜まってたいろいろが浄化された。普段の生活圏では映画全然見る機会ないんだけど、来年はもっと映画館で映画を観たい。家でyoutube見てる場合じゃねぇ。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
「この世界の片隅に」ですずちゃんがタイトル回収した瞬間、なんの前振りもなくていきなり来たので、めっちゃすとーんと心に入ってきた。きっと、現実でもこういうタイトル回収みたいなことは起きてて、それはきっとすごくサラッとしたものなんだろうな。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
完成された作品であるほど、単に「良かった」しか言えなくなる
「ガルパンはいいぞ」と同じで、「この世界の片隅に」の良さを伝える言葉が脳内に見つからなすぎて、思考をぐるぐると一周回ってきたのち、単に「いいぞ」の一言をひねりだすことしかできない
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月29日
「ガンパンはいいぞ」みたいな語彙が消滅する現象について。
これって「自分の言葉でいろいろ説明したり付け加えたりすることで本来作品が持つ世界が少しでも壊れてしまうこと」が恐ろしいからなんだ。
これから見る人には、作品の世界にそのまま触れてほしい。完成された作品にはそれしか言えねぇ
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年12月30日
一分の隙もなく作り込まれた作品を前にすると、いたずらに自分の言葉で「この作品は◯◯だった」とは言えなくなる。
これは作品に対する敬意であり、もしかしたらほとんど畏怖に近い気持ちなのかもしれない。
偶然この作品に出会っただけの自分が、身の丈以上の言葉でいたずらに飾れば飾るほど、作品の純度が落ちてしまう気がする。
自分の語彙を超えるほどの作品に出会ってなお、拙くても自分のできる限りの言葉でこうして記事を書くことが、僕にとっての作品に対する最高の賛辞なのかもな、と思っている。
まとめ:とにかく「観てください」としか言えない
この日まで知らなかったのですが「この世界の片隅に」は、公開日から毎日欠かさず、日本のどこかの映画館で上映されているそうです。
戦争とか死とか焼け野原とか敗戦とか、あまりに絶望的なことばかり描かれている。だけど、だからこそその中で見つけた希望は尊い。
かなり後発の僕が言うのもなんですが、ぜひ!