頭で理解できないことを信じる強さ、と言うのはあるのだろうな。理屈を探しているうちにタイミングは過ぎていく。
— 煮え湯@yawn (@nieyu365) 2017年7月27日
仮想通貨の出現で「頭で理解できないことを信じられる強さ」が求められていると思った
まだなにも確かなことがみえなくても、自分の勘を信じられるひとが強い。
仮想通貨が世の中に本格的に出てきた時、そういう時代になったんだな、強く思いました。
将来、仮想通貨が社会的にどういう形で関わってくるかなんて、いまの段階では誰も確かなことは言えない。けれど「いまはまだわからないけど、きっとスタンダードになる。だから、いま飛び乗ろう」という行動ができるひとは、一定数いる。
「わからないけれど信じてみる」というのも、ちょっと違う。それってまだ、自分の外のどこかに責任の所在を求めている感じ。
そうではなくって、たとえ判断材料が乏しくっても、なにもかも全てを自分で抱き込んで、肚に落とし込んで、「確信を持てる」というところまでいけるかどうか。
自分の脳味噌で絞り出した結論に、納得感を持って突き進めるか。
そして、ひとよりもはやく最初の一歩を踏み出せるか。
よく語られる「フットワークが軽いか重いか」みたいな話にも似ているけれど、それよりも深いことろにある話。なんというか……「勘を信じられるか」という話だと思う。
ゆっくりとだけれど、ロジカルからすこし離れたところ、どちらかというとすこしスピリチュアルなところに、世の中の力学の「重心」が移りつつあるのかな、と。
まとめ:これから求められるのは「賢さ」より「飛び込む力」。
これまでの世の中って、下調べして、対象がどういうものかを解き明かして、それをもとに前に進んで、っていうのが定石だったと思います。
でも、変化スピードがどんどん速くなっていく時代において、従来の方法じゃついていけなくなり始めている。
そういうときに「頭で理解できないけれど、飛び込んでみる」ことができるひとはどんどん存在感を増していくことができるんじゃないかな。
そして、その打率を挙げる唯一の方法は、やっぱり「とにかくたくさんのケースに飛び込んでみること」だと思います。
いちばん損なのは、迷ってなにもしないでいること。
ついうっかり真面目な感じで「なにごとも裏を取ってから」と考えてしまいがちだけど、これからは「あえて自分でバランスを崩していく」意識が必要だと思います。
まだ仮想通貨さわってないってひとも、いまからでもちょっと触っておくと上で書いているような意味が腑に落ちてわかるかもしれません。ちなみに、ぼくは仮想通貨に関しては未来感じてます。
そんな感じ。では!