このごろ思っているのは、たとえばこういう「謎の縛り」って誰もハッピーにしないよな、ということ。
- 病気になったからといって元気そうにしてはいけない
- 仕事で失敗したからといってその日に職場で笑ってはいけない
- 勝負に負けたからといってそのあと笑顔をみせてはいけない
そして、そういう状況に引き込まれそうになったときに一番かっこいいのは、変に空気を読まずに「ガハハ」と笑っていられるひと。
ネガティブな感情は強い吸引力を持つ
ガツンとへこんだときとか、ショッキングなことにぶつかると、なんでかそこから離れられなくなる時があります。
そういう負の感情って、どういうわけか、ものすごい吸引力があって。
離れたいけど、心をそこから離すことができなくなる。
怒りが収まらない時とかも、そう。
自分さえそのことを忘れてしまえばもう誰も気にしてないのに、なぜか手放せない感情。
本来、自分を変えるのは一番簡単にできること
本来は自分自身の「気持ち」や「スタンス」は、自分自身で簡単に変えられるもの。
それができないのは、自分でつくりあげた「他者の目」や「過去の自分との約束」みたいなものが大きいのかなと思います。
でも、そういうのって何もかもが幻想で。
自分が作り出した幻想に惑わされるのはもったいないことだし、なにかに遠慮する必要もない。
正しいことがわかっているのに、そう行動しないで、ガチガチに自分を縛り付けるのはほんとうにもったいない。
自分の理想に最短距離で向かえるように、どんどん自分を変えていけば良いんじゃないかなー。
まとめ:過去は錯覚、未来は幻想、あるのは今だけ。
過去は変えられないし、未来はわかりようがない。
そういうものに縛られて、なにもできないままでいるのはちょっともったいない。
過去は錯覚、未来は幻想、あるのは今だけ。
そう思って生きていくことは「いまを生きる」ことにもつながるんじゃないかな。
自分を変えられるのは自分だし、自分を最後まで縛り付けるのもいつも自分。
変な執着とか「謎の縛り」をスッと手放して、次から次へと生きていくような、そういう身軽な生き方でありたいと思っています。