ブログを何年か書いてきてみて思うのは、ブログとは「出がらし」こそがおもしろい不思議なメディアだということ。
出汁でもなんでも、世の中でおいしいとされてるのは最初に抽出したものなんだけど、ブログにはどうもそれがあてはまってる気配がない。
そのへんについてちょっと考えてみた記事です。
ブログがおもしろいのは「書くネタがなくなって、もう絞りカスしか出ねぇ」みたいなときがいちばん良い記事が出てくるところ。
こんなに絞りカスがおもしろいことってほかにあるのか……?
なんでも一番目に抽出したものが一番がおいしいとされてるのに。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2018年8月14日
ネタが無くなって初めてコンテンツを探す目が養われる
ネタが無くなってきたときにこそおもしろい記事が出やすいのは、そういう状況では「自分の着眼点を変えざるを得ない」からだと思っています。
持ちネタのストックが無くなったとき初めて、「これまでの自分が書かなかったこと」を書く必要に駆られる。
その状況で新しい記事を書くためには、いつもとは着眼点を変えないといけなくて、それが新鮮な切り口を与えるんだと思う。
逆に言うと、余裕を持ってネタをためておくと、こういう化学変化は起きにくいとも言える。
狙わずに打てたヒットには学びがある
この事を考えるときにいつも思うのはこの記事のこと。
関連記事:ランニング時にiPhoneをポケットに入れておくと落とす危険があったのでアームバンドを購入したけど、結局ポケットをダブルクリップでとめたほうが簡単で安心だったって話。
ブログを始めた結構初期の記事で、ネタがなんとなくなくって、それで何も考えないで書いた。
アクセスを集めるようになったので少しリライトしたけど、初めはほんとに簡単な記事だった。
もちろん狙ってアクセスを稼ぐための記事を書くこともあるけど、どっちかっていったらこういうふうに偶然ヒットが出るときのほうが嬉しい。
なぜならそこには、「あー、これが読まれるんだ」という発見や学びがあるから。
一律にレベルアップに役立つようなRPG的経験値というよりは、パワプロのサクセスモードでのポイントみたいな感じで「この練習をやらなきゃ得られないタイプの経験値」というものが現実でもきっとあって。
だとしたら、これはきっとそう。
「偶然ヒットを打つためのスキル」のようなものがあるとしたら、これはその経験自体を積み重ねることでしか身につかないものなんじゃないかな。
成長するためには毎日実験すること
ネタをためずにその場しのぎで毎日更新しているブログは、いわば毎日が「実験」なわけで。
安定したヒットは出にくいかもしれないし、何よりその状況で毎日書くことは大変。だけど、そういうヒットを探るには一番良い環境のはず。
一方、ふだん自分の持ちネタであるところの「書きたいこと」を書いているうちは全ては自分の想定内。だから記事の反響も想定内のものばかり。
いや、狙って想定通りの結果を出せる時点で相当すごいことだとは思う。だけど、やっぱりそれだけだといつまで経っても想定外レベルの成長をすることはない。
生物の進化の歴史が語るとおり、生物はある種の危機的状況にさらされて初めて進化するもの。
ブログもそれと同じで、長い目で見たとき、自分の守備範囲外に「冒険」しにいくことはやっぱり大事だと思う。
うまくいくパターンを見つけたからといって、同じところにあぐらをかいていても何も変わらないし、現状維持すらままならない。
まとめ:まずは打席を増やすことから。
思うのは「作り込んだコンテンツ」の価値は引き続き残るとして、それ以外にもっと「インスタントなもの」が消費されやすい時代が来ているということ。
「自分が書きたいもの」を書くのでもなく、「自分が書かなければならないこと」を書くのでもない。
「相手が求めている情報を先読みして書く」というのは一つの正解だけど、まだなんか遠い。
「なんとなく書いたもの」がウケることに規則性はあるんだろうけど、やっぱりまだつかめない。
法則がわからないなら自分の中でサンプルを増やすしかなくて、サンプルを増やすにはどうにかラッキーパンチを打つことが必要で、ラッキーパンチを打つには打席に立つ回数を増やすしかない。
マーケット感覚とも言えるこのスキルは、ブログ運営はもちろんふだんの仕事でも役立つスキルなので、ここのところの蓄積を増やしていきたいと思っています。