一行日記11/20 毎日なんとか英語の勉強時間確保してる。この時期の飲み会is罪

自分の作ったものがどこか知らないところで動き続けるということ

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脳内メモ
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濁流のように過ぎ去っていく日々をつなぎとめておきたくて、あれやっただとか、これやっただとか、そういう自分の外側についての記録を蓄積していこうと思ってはじめたこのブログ。

ところが、ここ最近は思ったことを書く記事が多くなっています。
それはそれで、自分としては喜ばしい変化だと思っています。

まさか自分がこう言う路線になるとは思っていなかったよね。

で、なんで自分が文章を書いているのかについて、このごろ思ったことのメモ。

自分の作ったものがどこか知らないところで動き続けるということ

ぼくは、自分のつくったものが、どこか自分の知らないところで動き続けてくれるのがすごく嬉しいんだ、と思いました。

ブログに書いた文章は、本人の手を離れて世に放たれた後も、読んでくれる人と向き合って、その文章を書いた時の「気持ち」を伝えようとしてくれる。

そういう意味では、ぼくの知らないところではその文章を元に行動を起こしたりしてくれたら、とても嬉しいと思います。

宇宙の果てで動く探査機も、自分が書いた文章も同じ

探査機でも文章でも、そうなんだけど。
つくった本人の手を離れたあとも、世界の片隅でひとしれず動き続けていてくれるものっていうのは、とてもいいなぁと思う。

そのけなげさみたいなところが、とても愛おしく感じることがある。

それは、もしかしたらつくった本人がこの世からいなくなっても続くもの。
そういうところに憧れというか、胸がほんのりと暖かくなるような、そういう気持ちがある。

文章でもなんでもよいんだとおもうけれど、自分の頭の中にあることを、他者が感じられるフォーマットにして、なんらかの形で自分の外に出すこと。そうして残していくこと。

それは時間とともにどんどん変わっていくはずで、だからこそそのおもしろみは時間がたてばたつほど、積み上げれば積み上げるほどに大きくなっていく。

だから、これはできる限り続けていきたいと思っています。

まとめ

自分の分身が、もちろんできる範囲ではあるけれど、世の中に散らばっていって、ほんのちょっとだけでも世界を変える(あるいは変えようとする)。

つくりだすことのおもしろみはそんなところにある気がします。
その姿を見ていたいから、自分で文章を書いたりするんだろう、きっと。

「夢に手足を」って言葉が大好きなんだけど、ぼくもつたないながらも、できるだけ手足がついたものを作り出していきたいなーと思う。
生きた、温もりのあるもの、と言い換えてもいいかもしれない。

いつか手足をつけて歩いていった自分の分身が、忘れた頃にいろんなものを持ち帰ってまた帰ってきてくれたら、本当に嬉しいよね。

そんな感じ。

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