一行日記4/20 横山三国志を読み始めました

「これだけやったから評価されるはず」という考えは、もう捨てよう。

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脳内メモ
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仕事とかでめっちゃがんばってできることはやり尽くして結果も出したのに、それでも他者から正当に評価されなかった時ってけっこうダメージありますよね。

そういう時、前はむむむむむむーんとなって気持ちが落ち込む時もあったんですが、最近はそういう起伏がなくなってかなり生きやすいです。

というのも、「他者からの評価と自己評価は一致しない」という考えが腹に落ちるようになったから。
他者からの評価を求めなくなると、不要な浮き沈みがなくなるからか、不思議とパフォーマンスも高いところで安定するんですよね〜。

そういうわけで、「他者からの評価」についていま考えてることを記事にしておきます。

そもそも他人の評価と自己評価は絶対に一致しない

前も記事にしたんだけど、そもそも他人の下す評価と自己評価は一致しません。絶対に。

他者の下した判断を捻じ曲げることはできないし、かといって自分がどういう成果をあげたのかを完全にわかってもらうことも不可能。

考えてみれば、こちらから評価者の頭の中の思考プロセスを覗き見ることは不可能で。
そう考えると、お互い分かり合えないのは当然。

他者と比べるのはもうやめよう。比べるなら過去の自分と。

他人の評価を変に期待して、自分の軸がグラグラになってくると気になってくるのが「自分は人と比べてどうなの?」ってこと。

でもここも、やっぱり考えてもどうしようもないわけです。

「刺激をもらう」くらいならいいけれど、他者と比べすぎて変な気分になるならはじめから考えなくて良いと思います。

どうしても比べたかったら過去の自分と比べるべし。
常に自己ベストを更新するつもりで生きていけば、いつのまにか他者と比べる必要なんてないくらいの高みに到達しているのでは。

良い意味で他者に「期待しない」とラクになれる

まず、他者が下す判断を外から捻じ曲げることなんてできない。
そして、「わかってもらえない」ことは大前提と知ること。

ぼく自身、この考えを持つようになってからかなり生きるのがラクになりました。

この社会を生きているとどうしても「他人の評価」からは逃れられませんが、それは自分ではコントロールできないもので。

そんなものに振り回されるくらいなら、もう考えるのはやめて、過去の自分を上回れるように粛々とやるべきことを積み重ねたほうが遠くに行けるんじゃないかなー。

まとめ:わかりあえないことは当然のこと。わかりあえなくて良い

170915 dont expect too much 01

分かり合えないことは決して悲しいことではなくて、それは当たり前のこと。
むしろ「わかりあえない」というのは気持ちのいい距離感で。

なんでも分かり合える世の中とか暑苦しいし、逆に生きにくすぎるわ。

ひとから正当に評価されない、ということでモヤッとしているひとはたくさんいると思いますが、ここは思い切って上で書いたような感じに考えを変えてみるのも手と思います。

試すだけならタダなので、いろんな生き方を試していけば良いんじゃないですかね。

では!

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