一行日記11/27 炊飯器でつくるポトフ楽でいい

価値観とは流動的なもの。硬直的なものはただの「思い込み」

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脳内メモ
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「価値観」は絶えず変わっていってこそ健全なもの

価値観とはあっちにふれたりこっちにいったりする、極めて流動的なもの。

社会が共有する価値観も時代とともに徐々に変わっていくし、個人の価値観なんてなおさら。

「昨日まではAが正しいと思っていたから、もうAを裏切れない」っていうふうに考えるのはほんとうにもったいない。
ムダなマイルールで自分を縛り付けるのはマジで誰得。
関連記事:自分を変えられるのは自分だけだし、自分を最後まで縛り付けるのもいつも自分

間違ってたことに気がついたり、今の自分とあってない事に気づいたら、もうその瞬間に生まれ変わったらいい。

それをしないようにしているのは、実のところ自分自身何だと思っています。

「思い込み」を大事に抱え続ける必要はない

価値観とは、自然に変わっていくもの。
だとすると、ずっと変わらないものはちょっと不自然。

それは「価値観」ではなくて、自分がそういうふうに固定してしまっている「思い込み」なんだと思う。

ぼくにとっての「価値観」とは、柔軟性と好奇心を湛えたもので。
ほうっておけばどんどん形を変えていく、生き物みたいなもの。

それをひとつの形に押し込めて固めてしまうのは、なんとももったいないと思うわけです。

人間は矛盾した存在だし、むしろ矛盾してなんぼ。
そのへんのところを受け入れていくと、なんだかラクに生きていけるような気がします。

そもそも価値観ってひとつじゃないといけないの?

余談だけど、このごろよく考えるのは、異なる価値観はひとりの人間の中に共存できるのか、ってこと。

個人の中に宿る価値観って、なんとなくひとつじゃないといけないと思っていたけれど、それってただのまやかしなんじゃないかと思っています。

別に自分の中の価値観とか正義っていうのは、ふたつでもみっつでもよいんじゃないか。

そんなふうに思います。

まとめ:価値観は自分の内側と世界をつなぐ「窓」

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自分が世界をみる時、その景色を自分から狭めなくてもいいと思う。

そのときに見たいように見ればいい。
それは時とともに変わっていくだろうし、なんならいくつも窓があってもいい。

ただ、ひとつ思うのは、ずっと同じ窓から同じ景色を見ているだけでは、人生をたのしみきれないんじゃないかなってこと。

だったら、いろんな見方をみつけて、どんどん次から次へと変わっていったらいい。
誰もそれを止めないし、誰もあなたを縛り付けてなんかいないんだから。

年をとって肉体的に老いていくとしても、感性だけは若いままでいたいなーと思っています。

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