一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

いまさらながら「無駄にできる時間は一秒だってないんだな」と思った話。

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脳内メモ
この記事は約4分で読めます。

最近思ったことについて書いてみる「頭の中身の文章化」シリーズ。

実はこのシリーズはあんまり読まれなくってもいいかなと思っていますが、僕にとってはあとで自分の価値観の変遷を見返すことができてたのしかったり、自分の感情を客観視する意味で大事なプロセスなので、ちょこちょこ書いています。

これまでに書いた記事はこちら:じっくり考えたこと

今日は「やりたいことがある人生において、時間を無駄にすることはやめたい」と思った話です。

ブログを始める前は自分を持て余していた

思えば、ブログを始める前の僕はいつも何か焦っていたような気がします。

時間はある、体力も気力もある。

だけどそれをなにに向けたらいいのかわからなかった。

それでも時間を無駄にすることだけはとにかく嫌で「時間が経っても蓄積してあとに残るもの」にそうした資源を投入しようと思って、なんとなく資格勉強をしていた時期もありました。

だけど、それは消去法で。

もちろん、そうした勉強は「時間を有効に使えている」には間違いない。新しいことを知ることはエキサイティングだし、そうして身につけたスキルで救われたこともたくさんある。

そうなんだけど、やっぱり「自分の時間を注ぎ込みたいものなのか」「心の底から楽しいと思えるものか」と言われると微妙だな、と思っていました。

ブログを始めてから人生の色が変わった

そんななか「たのしそうだし、ちゃんとやれば個人に紐付いた資産になるし、ブログを始めてみようかな」と思ったのは、モヤモヤが最高潮に高まっていた2014年の年末ごろ。

そこからかなりの時間をブログに割いてきましたが、ブログは資格勉強よりもおもしろかった

「どうせミスってもブログに書けるし」という後ろ盾でいろんな体験に飛び込んでみて、それをブログに書く際に自分の中で再体験して、さらに書いたものを世の中の誰かに読んでもらうことで、自分の枠がどんどん広がってきている実感があります。

ちょっと大げさに言えば、「もしかしたらブログを始めた瞬間から人生が始まったのかもしれない」と思ったりもします。

もちろん、別にそれまでの人生が灰色だったかと言うとそうではない。

でも「これだ」と思える打ち込めるものがあると、目の前の色が変わる。

例えるなら、赤緑青の三原色の組み合わせで表現されていた世界に、あたらしいもうひとつの色が現れて、これまで見えていた風景がいろめきだすような感じ。

「どこも痛くない、しんどくない状態」はとても恵まれている

ここ数年で何度か体調不良になり、ブログの更新をはじめとした発信活動ができない時期がありました。

そのたびに実感したのは「どこも痛くない、しんどくない状態はとても恵まれている」ということ。

考えてみれば、自分の体が満足に動いて、気力も体力も時間もある期間って、一生のうちにどのくらいあるんだろう。

もしかしたら、あと数年後には、いや、あと数ヶ月にはなくなってる可能性だってある。先のことなんて誰にもわからないんだから。

そう思うと「無駄にしていい時間なんて、本当に1秒もない」という気持ちになる。

まとめ:無駄にできる時間は1秒もない

「今日はちょっと気分が乗らない」とか「明日できるから明日やろう」というのは、明日も「今日と同じ」が続くという前提で成り立っている。

言い換えれば、これはものすごく楽観的な考え方とも言えるわけで。

でも、今日と同じ明日がくる保証なんて、どこにもない。

昔から「目の前の小さな仕事を大事にできない奴に大きな仕事は成し遂げられない」と言われるように、あれは別に仕事に限った話じゃない。

人生においても「終わり続ける目の前の一瞬を大事にできない者には、いくら時間があってもいつまでもなにもできない」と言えるのかもしれないな、と思っています。

こういう生き方はしんどいのかもしれないけど、しんどいと思ってる時点で負けな気がするし、やっぱり後で後悔するのは一番嫌。

だから、今日も石を積むのです(自戒を込めて)。

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