適切なお金の使い方を探るために積極的にお金を使ってみよう、というひとりキャンペーンです。
自分の時間とか脳みそといった資源だけでは、いずれ頭打ちになる
学生のときはお金がなかったので、いろんな「工夫」をすることが行動の基本でした。
できるだけお金はセーブして、できるだけまともな結果が得られるようにしていく。
その考え自体は美しいけど、このごろはそれだけじゃ新しい世界は見えない気がしてきました。
お金を使わないということは、自分の時間とか脳みそとか、そういう有限の資源を使わないといけないということで。
ぼくがレオネルドダ・ヴィンチ並の天才なら「自分の力」で何でもかんでもできるのかもしれない。
だけど現実には、そうじゃないわけで。
「自分の力だけを使っている状態では、いずれ近いうちに頭打ちになる」ということが実感レベルでわかってきたということですね。
で、気がつけば働いているうちにちょっとした小金もあるし、そろそろそういうところを積極的にテコ入れして変えていく時期なんじゃないかなーと。
「工夫も大事だけど、お金をうまく使うことももっと大事かなー」と思うようになったというわけですね。
お金をうまく使うことはお金を稼ぐことよりも難しい
思えば、適切なお金の使い方って、難しい。
消費といってまず思い浮かぶのは、毎日の食べ物とか、移動とか、そういう生きるために不可抗力的に消えていくお金のこと。
そこにはあんまり改善の余地というか、余白みたいなものはないような気がします。
できたとして、日々のちょっとした節約くらいじゃないかな。
いま話しているのは、そういう消費の部分じゃなくって、自分の意志で使うプラスアルファの部分のお金の使い方について。
生きていくことに不可欠でない、いわば「人生のおまけ」での活動にどのようにお金を絡ませるか。
このスキルについて考えてきたことってほとんどなくって。
いまはそのへんを伸ばしたいなーと思っています。
まずはインプットする情報を有料のものに置き換えてみるという実験
このごろはブログに自分の思ったことをいろいろ書くようになりました。
すると、不思議な事に「どんどん自分の価値観とか習慣とか考え方とかをアップデートしていきたい」という思いが加速していくんですね。
特に、たくさんの本を読むようになってインプットの質を上げたら、明らかに思考の幅が広がったことを実感。
いい本を読むと、放っておいてもブログに書きたいことって山のように出てくる。
そしてそれをブログに書くことで、その時点での自分の価値観が焼き付けられる。
関連記事:書くことは自分を過去に焼き付けること
その上で、それを踏み台にして、さらに新しい価値観へのアップデートを続けていく。
この繰り返しって、純粋にゲームみたいでたのしいものです。
ほんとうにRPGのレベル上げと同じ。
というわけで、まずはインプットする情報のクオリティを、お金を払うことで上げてみることにしました。
自分でお金を払ってみないと何もいえねぇ
もちろん「有料だから優れているとは限らない」というのは百も承知。
でもさ、実際に自分でお金払って確かめなくちゃ何も言えないじゃん。
ぼくは、何が役に立って何が役に立たないかなんていうのは、情報そのものに紐付いているんじゃなくて、情報の受け手に紐付いていると考えている派です。
つまり、役に立つかどうかの評価は「うまくその情報を自分の人生に応用できたかどうか」に対して行われるもので、書いてあることを良い悪いと評価することは本質ではないんじゃないかな。
そういう仮説も含めて、なにもしないうちにいい加減なことを言ったりしたくないから、まずは全部自分でやってみるのです。
そのためにお金はある、ということですね。
まとめ
ざっくり生活の10%くらいを新しい行動に置き換えようと思っている。具体的には、お金を払って良い情報に触れる時間を増やす。だってそういえば、そう言うために使えるお金、持ってるもん。お金をうまく使うのは難しい。いや、使い方を知らなかったんだな。積極的に使う方法は学校では教わらない
— 煮え湯@追いかけ更新中 (@nieyu365) 2017年8月24日
予感レベルだけど、お金を稼ぐことと、うまく使うことは密接につながっているとも思います。
うまく使うことでどんどんお金が循環すれば、結果的に入ってくるお金が増えていくはず。
うまくお金を使って自分の周りの経済圏をハッピーにしていければ、その喜びは返ってくると思っています。
それが、いまの時点で考えている理想のお金の使い方かな。