唐突ですが、このごろは「手持ちのメモに手書きするのはもうやめて、出せる情報は極力なにもかもインターネットに公開してしまったら良いのでは?」となっています。
理由は以下。
- 紙に書いた情報って検索できないのが不便
- 紙だとかさばるし管理も大変
- 他者がアクセスできない情報は存在しないも同じ
- もっとカジュアルにインターネットを使っても良いのではないか
というわけで、この記事ではいま考えていることを文章にしておきます。
インターネットに出さないなら存在しないのと同じ
10年くらい前は「なにかをやるならURLを持つまでやれ」というのが世界とつながる鉄則だったんですが、いまや境界線は溶けきって一体化。
誰もがツイッターをやって、Facebookとインスタグラムを使いこなしてる。
すでに「インターネットに出さないなら存在しないも同じ」という世の中になってきている。
そういう世の中では、たとえもっと評価されるべきようなモノがあったとしても、インターネットに繋がっていない状態では、誰にも知られることなく朽ちていくことになる。
インターネットにはマイノリティ同士をみつけてつなげる力がある
インターネットは広い。
どんな情報でも、それをおもしろがってくれる人はいる。
そしてインターネットは、そういうマイノリティ同士を見つけ出してつなげる力がある。
だから、外に出せる情報があるなら、それはできるだけインターネットに溶かし込んだほうが良いと思っています。
インターネットを自分のノートのように使ってもいい
前から、勉強した内容や本の感想って、ブログに書くことでより一層身に入るなーというのは思っていて。
「インターネットに出す」というハードルを感じながらアウトプットすることで、自分の理解が加速する、というのは確かにある。公開することで、はじめて深まる理解もある。
ひと昔前はインターネットは「情報収集のためのツール」だったけど、きっとその使い方だけではもったいない。もっと無限の可能性があるはずで。
情報収集のためだけじゃなくて、情報の集積場としてのインターネット。
インターネットを「無限の広さを持った自分用ノートのように使う」というアプローチはおもしろいはず。
まとめ:もっと人生をインターネットに溶かし込もう。
もちろん、ぼく自身もプライベートすぎる情報とかは出さないし、「人類みなインターネットに情報を垂れ流すべき」というつもりは毛頭ありません。
だけど、いまこの時代、情報を抱え込むだけではもったいないことだけは確か。
出せるところはうまくインターネットとつなげることで、おもしろさは何倍にもなると思っています。
ちょっと自分でもあんまり考えが固まっていないところはあるけれど、自分の価値観を自分で積極的に変えていく実験は大事。
新しい試みは常に続けていきたいと思っています。