このブログでも度々取り上げているベランダ菜園。
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ここ最近は旅行などで家をあけることが多くて控えているんだけど、ベランダ菜園熱は未だ高いまま。
そうして過ごしていたときに出会ったのが、いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」という本。
いとうさんがやっている「園芸」と僕がやっていた「菜園」には微妙な違いはあるけれど、僕自身ベランダで植物を育てていたときの気持ちと重なるところがたくさんありました。
またベランダ菜園をやりたい気持ちがむくむくと湧いてきたので、気持ちが消える前に書評を書いておきます。
いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」を読んだ
#いとうせいこう さんの #自己流園芸ベランダ派 はすべてのベランダ菜園家に刺さる本。こちとら実という実益のみを狙って菜園してたので、美しい花を愛でるために日々身を粉にしてらっしゃる著者には尊敬の念しかない pic.twitter.com/EYN2LK4GqO
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2019年2月22日
実は僕はこの本を通じて初めて、いとうせいこうさんがかなりガチのベランダ園芸家であることを知りました。
ベランダ園芸に入れ込むあまりベランダが3つある物件に引っ越した話とか、すさまじい。
しかも、NHKでドラマ化された「植物男子ベランダー」の原作は、いとうさんの「ボタニカルライフ」だったとは……!
これは一介のベランダ菜園家にとっては印籠レベルの輝き。ひれふす!
いとうさんは音楽方面の印象が強かったんだけど本当に多才な方。
ベランダで園芸や菜園をする喜びが伝わってくる
この本の良いところは、もはや専門家を名乗ってもいいくらいの著者が、ベランダで植物を育てたことのない人に対しても、それにまつわる喜怒哀楽をわかりやすく伝えているところ。
植物と向き合うことは「喜楽」だけではなくて「怒哀」も多いもの。
僕は簡単な野菜ばかりにチャレンジしたので、基本的には「喜楽」で収まる範囲でしか菜園をしていなかったのですが、いとうさんは違う。
本気で取り組んでいるからこそ、その視点からすくい上げられた「喜怒哀楽」がほんとうに瑞々しい。
じっくりと植物と向き合うことで自分の心の中に湧き出てくるその小さな感情の揺れを、こんなにもおもしろく表現できるのかと……!
じっとして動かない植物から小さな変化を見つける「観察力」と、それを多くの人に共感できる力で文章化する「翻訳力」が揃っている著者はほんとうに無敵。
ベランダ園芸は「うまくできないからこそ楽しい」
いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」を読んだ!僕もベランダ菜園でミニトマトやナスやピーマン、ミントや紫蘇をつくってきたけど、ほんとうに植物を育てるって楽しいよね。めっちゃ広い土地欲しいと思うときもあるけど、ベランダだからこその不自由がたのしいのだよなぁ。
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2019年2月5日
僕自身もベランダ菜園を通じて感じたことだけど、植物って本当に思い通りには育たないもの。
かいがいしく水をやり肥料をやり鉢を移動させ日光にあててやっても、枯れるときは枯れる。
どこまで突き詰めても自然はコントロールできないものだけど、その「うまくいかない」ところが、それこそがベランダ園芸の一番の魅力。
多分はじめからうまくいくものだったら、誰もそんなにハマってないと思う。
うまく育てたかったら広い畑で、良い品種の苗を買って、良い肥料で……とやるのが王道であり、一番の近道。
だけど、ベランダ菜園家は違う。
きっとみんな「俺がやりたいのはそれじゃないんだ」と思ってる。
正直言って「ベランダ」は、植物を育てるには決して向いている環境とはいえない。
でも、だからこそ味わえる苦労が、何よりの「果実」であることを、ベランダ園芸家は知っている。
そうした「うまくいかないところを楽しめる」ところが、ベランダ園芸の魅力なんだと思う。
まとめ:自分で試行錯誤する過程こそが、一番豊か。
こうして考えてみると「自分なりに試行錯誤できる環境」というのはものすごく恵まれた環境だと感じます。
失敗してもいい、何度でもやり直せばいい。
誰からも強制されることはない。
たとえ非効率でも非生産的でも、そこには無上の喜びがある。
そうした非効率を許容できることこそが、真の豊かさなんだと思っています。
豊かさの最終目的は非効率を許容すること
— 煮え湯 🍳 "yawn" 毎日更新中! (@nieyu365) 2017年11月17日