一行日記3/18 花粉と強風と寒暖差で無事脂肪

「変わっていくこと」を受け入れるだけで物事は好転していく

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脳内メモ
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このごろブログでよく書いている「変化していく」ということについて。

心の自由、不自由というところと関連がありそうだな〜と思いながら思考を探っていたら、これまでとは別の切り口が見つかったので記事にしておきます。

否定の言葉は自分自身を縛る呪いの言葉

精神的な不自由とはどういうことか、その言葉の意味を改めて自分の中で考えてみて思ったのは「自分の意思で自分の思うように変われない状態」ということ。

コロコロとやり方や考え方が変わっていくことを「筋が通っていない」と否定する人もいる。
だけど、そういう言葉はそれを発する当人を縛り付けることにもなる。

ひとのスタイルを否定すると、もう自分でそのスタイルをとることはできなくなる

変わっていくことを否定することは、裏を返せば「自分が変わっていくことを許さない」ということ。

つまり、いまの自分の正当性を証明しなければ自分を保てない。
そうなると、ますます自分からは変われないし、いつまでも他人を認められない。

他の人のやり方を否定することは、なによりその人自身を縛り付ける呪いの言葉だ。

否定した手前、自己矛盾してしまうから自分がそうなることは許されなくなる。
でもそれって大きな機会損失で。

人に否定の言葉をぶつけてばかりのひとは、失敗もできなくなる。
それってとても苦しい。

そもそも精神的に自由なひとはひとのことなんて気にしていない

精神的に自由な人は、きっと他人が自分のことをどう思おうと気にしない。
だからこそ新しいことにチャレンジできるし、人を認められるし、変わっていけるんじゃないかな。

逆に言えば、否定的なスタンスを取ってしまうひとは、自分の軸が他人にある状態といえるのかもしれない。

気楽にやる、たのしんでやる、ダメな方法を試しながらやる。
これでいいじゃんって思う。

人の目は気にする必要はない。

何かを変えて、行動すれば、やっただけ必ず前に進む。
何も変えず、何もやらなきゃ何も起こらない。

「否定」という姿勢には得することなんてひとつもないと思う。

まとめ

結局、人と比べることに意味なんてないんだなー。

淡々と、粛々と、自分にできる最大限の速度と効率で、諦めることなくやることをひとつずつやっていく。
つまるところ、これしかない。

芯の部分に曲がらない哲学があれば、手段はいくらでも変化していい。
目標に向かうためなら、手段はそのとき一番いい方法を選べばいい。

実は、その哲学とか信念の部分をしっかりと持つことが一番大変だったりする。
そこができればあとはたいした問題でもないのかもしれないな。

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