一行日記4/24 めちゃくちゃ文献読んでから先駆者と会話すると、ぷよぷよの連鎖みたいに多くの知識がバシバシ繋がる感じがしてよい

脱・まじめの罠。ルールのギリギリまで踏み込む勇気を持とう

ⓘ本ページは商品、サービスのリンクにプロモーションが含まれています
脳内メモ
この記事は約3分で読めます。

今日書きたいのは「ルールを守ること」それ自体を目的にしてしまうことの恐ろしさについて。

本来ルールというのは、適切な制限を加えることでプレイヤーの創意工夫を促すためのものであるはず。

みんながおびえて「ルールまでの余白」を多くとって活動してる中、ルールのギリギリまで創意工夫で踏み込めるひとはかっこいい。

自分もそうでありたい、という自戒を込めた記事。

ルール遵守にとらわれすぎるとやることが小さくなる

ルールを守ろうという意識自体はとても良いもの。

でもそこをあまりに気にしすぎると、自分のやることが小さくなってしまうもの。

たとえば、「明らかにルールの範囲内なのに、誰もやってないきわどいこと」は誰もやらなくなる。

みんな、ルールの端までの余白を多く取ろうとする。

そして変な探り合いの末、その余白がそのコミュニティでの「ふつう」になってしまう。

これってすごくもったいないことだな、と。

勇気を持ってギリギリまで踏み込めるひとが突き抜けられる

いま思っているのは、そういう状況で「ルールのギリギリまで踏み込めるひと」が強いなということ。

ここのスタンスの持ちようで、その集団の中で自分がどういう存在になるかが、かなり決まってくるんじゃないかな。

そもそも、同じ人間である以上、そこまで能力に差なんて無い。

やるかやらないか、ただそれだけであることって想像以上にたくさんあって。

そのひとつが、この「ルールのギリギリまで踏み込む勇気を持てるか」ということだと思うんです。

まとめ:無意味な同調圧力に従う必要はない

どうしてみんな、そこまでルールにとらわれてしまうのかというと、それは「場」にはいつも、ある種の同調圧力があるものだから。

ギリギリまで踏み込んでいる誰かを後ろから指さして、「ルール上ではたしかにあそこまでやっていいだろうけど、そこまではやらんでしょ普通」とバカにすることほどかっこ悪いことはない。

この記事では別に「ルールなんてバカらしいから積極的に破っていこうぜ!」というアナーキーなことを言いたいわけではないです。むしろルールはちゃんと守ろう。

まぁ、盲目的にルール遵守至上主義に陥るのもどうかとは思うけど……。

でも、少なくとも、伸びていくひとに「ルール大好き人間」はいない。伸びるのはいつも、良い意味で空気を読まないひと。

ちゃんと自分の頭で考えて、工夫して、勇気を持って踏み込んでいく。

僕は、踏み込む側でありたい。自戒を込めて。

関連記事:ある分野でトップに立ちたかったら、まずは怒られるまでやり込もう。話はそれからだ。

関連記事:他者の生み出した工夫を「ずるい」で済ませていては、いつまでもレベルアップできない

お得情報&お知らせ

タイトルとURLをコピーしました