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「めんどくさい」は自分の向き不向きを判定する良いリトマス試験紙

じっくり考えたこと
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なんだかブログで自分の価値観を書くようになってから、思考にばんばんアップデートがかかっております。

今日は「面倒くさい」という感情について。
これまでは「なんとなく良くない感情である」という固定観念を抱いて生きてきましたが、このごろ考え方が変わってきたのでメモ。

例によって例のごとく、書いているうちにまた別の壮大なテーマがチラ見えしてしまっていますが、ひとまず記事にしておくことにします。

じぶんのなかに巻き起こる価値観のアップデートを記事にするのはたのしいです。

自分が何を好きで何をしたくないかは無意識レベルでわかっている

そもそもだけど、人間は自分が好きなこと、得意なことはめんどくさいとは思わないようにできている。
だから、自分がめんどくさいと思うことは、そもそも向いていないことなわけで。

そういう意味で「めんどくさい」という感情には、自分の適性を判断する上でのリトマス試験紙みたいな意味があると思う。

あたまで考えるとどうしても「理想の自分像との乖離」が気になってしまって正確な判断ができなくなりがち。
なので、これをただ「めんどくさいと感じるかどうか」という思考以前の感情レベルで判定してみてはどうかという話ですね。

「みんながめんどくさがるけど、自分はそうは思わない」ものに着目すべき

「みんながめんどくさがるけど、自分はそうは思わない」ものが見つかったらしめたもの。

そこは将来、自分の大きな強みになる可能性が高い領域なわけで。

なので、まずは意識的にそういう「みんながめんどくさがるけど、自分はそうは思わない」ものをいくつか探して見つけてみること。
そして、それらが重なる範囲を考えてみて、そのあたりをザクザクと掘ってみること。

これが、自分に向いていることを見つけるひとつの最短ルートかなと思います。

「向き不向き」は実際に自分の手と頭と時間を使って体験してみなければわからない

ちょっと上の文章で「ザクザクと掘ってみること」と書いています。
この表現の意味するところは「とにかく自分の体で試してみる」ということです。

何に自分が向いているかなんて、机に座って考えているだけでは一生かかってもわからない。

実際にじぶんの手と頭と時間を使ってやってみなけりゃわからないわけで。
だからこそ、分け隔てなくいろんなことを試してみたら良いと思う。

無理して生活を変えてまで、新しいことにトライする必要はない。
日常生活はひとまずそのままキープしながら、余った時間を使っていろんなことに挑戦してみることが第一歩。

対象は雑多でいいし、思いつきは大歓迎だし、興味が湧いたらとにかくやってみること。
そういうフットワークを軽くしておくほうが、最終的に自分の理想とする生き方に近くなることは間違いないと思う。

とにかく打席でいろんな打ち方を試してみること。
別にアウトになったって誰も損しないんだし、じゃんじゃん試すこと。

そしてだめになっても「これは向いていない」ということをひとつ抑えること自体が大きな収穫なので、気にすることはない。

ぼくがこのブログでいろんなことに手を出しているのもこの一環ですね。
打席の記録を残すにあたって、ブログほど最高なツールはないと思います。
関連記事:ブログは「なつやすみの自由研究」の集合体だ | yawn

お試しで凡退しても気にしない。じゃんじゃん試してじゃんじゃん凡退すべき。

何かを実際に体験して試してみて、最終的に「自分はこれに向いていない」ということがわかったとする。

そういうときはさっさと頭を切り替えて、別の場所を掘ってみるが吉。
見込みのない対象に感情的にしがみつくよりもよっぽど良いと思います。

ちなみに、自分が向いていないからといって、その対象に失望したり、嫌いになったりする必要もないです。
ただ単に、人生でたくさんある打席の中の数打席でダメ元で試して凡退しただけなんだから。

そもそも、本来、対象と自分の関係性を決めているのは基本的に自分の意志だけ。
別に自分がプレイヤーでなくても、その対象との関わり方はいくらでもあるわけで。

「やりたくないこと」を除いて残ったものに目を向けてみる

理想論の上では自分の可能性は無限大。

なので、ついつい自分が向いていることを探し出したくなります。
この世界の中のどこかにひとつ、自分が世界の誰よりも才能を持っている何かがあるはず、と。

でも、その膨大な対象の中から自分が向いている唯一のものを一生のうちにピタリと見つけ出すのは難しい。

よく「自分が向いていることを見つけよう」というようなことを耳にしますが、ぼくは「自分が向いていないこと」を見つけることも同じくらい大切だと思っています。

いきなり向いていることをピンポイントで見つけようとするのではなく、ひとまず2〜3の「やりたくないこと」を除いて残ったものに目を向けてみることはとても効果的と思います。

それをじっくりと観察することで、自分の方向性の90%くらいはきっと定まる。
そのなかでまた「ザクザク掘って」いけば、充分に「自分はコレだ」という何かがみつかるんじゃないでしょうか。

まとめ

こうして考えてみると、えてして避けるべきもののように言われがちな「めんどくさい」という感情は、決して悪いものではないような気がします。

まず、自分の「めんどくさい」という感情を観察して、適正のアタリをつけること。
そして場数を増やして、できるだけ多くの打席でいろんなことを試すこと。
「まだ何者でもない未知の自分の無限の可能性」は気持ちが良いけれど、それを容赦なくじゃんじゃん捨てていくこと。

そうすれば、自分という枠の輪郭がしっかり見えてくるんじゃないかな。
自分探しなんかで世界一周するより早いと思うよ。

この「いろんな可能性を切り捨てながら自分を前に進めていく」という考え方は、こないだ書いた「何かを失うことは何かを手に入れる前段階」という記事と根っこは同じですね。
関連記事:何かを手放せばそこには必ず新しい何かが入ってくる | yawn

こう考えてみると、「自分の可能性を自分で絞り込んでいける」というのは、選択肢が無限に広がった現代で強く求められるスキルのような気がしますね〜。

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