一行日記4/25 他者は自分を映す鏡

「自分がそう思った」という直感は正解とか不正解とか関係ない

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脳内メモ
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このごろよく考えている以下のことについて、記事にしておきたいと思います。

  • 自分の感じた「直感」「確信」みたいなものを、もっと信じてみてもいいんじゃないか
  • 正解かどうか迷っているうちに時間が過ぎてしまうのが一番もったいない
  • 正解かどうかわからないものは自分で「正解」にしてしまえばいい

正解かどうかを考えるあまり動けなくなるのが一番もったいない

世の中の大体のことって、教科書があるわけでもないし、答えが用意されているわけでもない。あまりにケースバイケース。

だから、正解かどうかなんて誰にもわからないわけで。
まだ誰も手を付けていない領域ならなおさら。

そんな正解か不正解かを確認することに時間を使うのは一番もったいない。

正解か不正解かわからないけどやってみたい、というのは、考えようによっては広大なフロンティアで。

そんなら、やってみたら一番早い。
もしやってみてだめならそれは、さっさと効率よく「だめということを発見した」ということなので、それでOK。無価値じゃない。

むしろ自分で正解に持っていくメンタルが大事

正解か不正解わからないときは、まずは飛び込んでみて、正解かを確かめれば良い。

誰にも正解かどうかがわからないものは、まだ誰かによって「正解」「不正解」が決められていない物事というわけで。
そういうものって、自分の行動次第で、これから正解にも不正解にも変えていけるものだと思います。

だったら正解かどうか迷うよりも、取り組んでみて、正解にしてしまえばいい。

「これをやりたいけど正解かどうかわからないし不安」というタイプの迷いは、がむしゃらにやって正解にしてしまえば良いだけの話。

まとめ:自分の感覚をもっと信じても良いと思う

170927 make it right 01

「全部自分でなんとかする」というDIYな生き方は大変なときもあるけれど、前向きにそう思えているときには爽快な気持ち良さがあって。

そういうふうにスタンスを決めると、他人の目とか、そういう不要なノイズも減って生きやすくなると思います。

「自分がそう思った」という感覚は、ひとにみせて答えを確認するようなものじゃない。
そんなことまで他人に介入させる必要なんてない。

じぶんでそう思ったんなら、じぶんで行動してそれを確かめてみればいいと思います。
失うものはなにもない。仮にあっても100%たいしたものじゃない。

っていうか、そうして「やってみて何かを失う」という経験自体、ものすごく得難くて良いものだと思います。

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